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PERFECT DAYSのレのレビュー・感想・評価

PERFECT DAYS(2023年製作の映画)
3.7
男子20人、女子20人のクラスで、いちばん人気のある女子がいちばん人気のない男子とくっつく可能性は1/20ではないし、1/200、1/2000ですらない。もっと言うとほぼゼロだと思う。
仮にそういう2人が心を通わせるストーリーを描くとしたら、その会話は絶対いきなりは始まらないし、かなり強力な仲立ちが必要になるが、この映画ではほとんど無媒介に始まっているように思う。もちろんスクールカーストの話じゃないけど、作中で掃除人の同僚が追いかける金髪の女の子と役所広司の間には、間違いなくクラスメート以上の差がある。

それに三浦友和みたいな人は、絶対あんなにすぐ「影の重なり」の話をしない。役所広司も応じない。人生は隠喩じゃないから。特に底辺の労働者階級にとっては。

今作に、「平凡な、あるいは一般的には軽んじられている人間の人生にも美しさがある」という主題があるとして、そこで描かれる平凡な人間像が、こんな妖精みたいに理想化されていていいのだろうか。見知らぬ人と心を通わせないで済むように作られた現代の日本社会で、心を通わせるまでの摩擦を無視してしまっていいのだろうか。

上記の主題がアイロニカルであることは妹との会話が差し込まれることで相対化されているのかもしれないが、それでも「理想化された社会的弱者」から社会を描くことにたいする疑問は無視できない。

だって、現実に役所広司みたいな立場の人(あの歳で東東京の風呂無し物件に住みトイレの清掃を仕事にしている人)がいるとしたら、娯楽があるにしても、家ではフォークナーを読むんじゃなくて、ソシャゲにのめり込んだりパチンコに通ったり、もっと俗っぽいものに浴している。絶対。

個人的な体験として、二十歳くらいの頃に引っ越しの日通で長くバイトしていて、何十人かのおっさんが運転するトラックの助手席に乗りながら何千キロも移動したが、移動中に聞く音楽って全部くだらなくてバカにしていたし、彼らの休憩時間の話題って家族の話かパチンコと風俗の話だった。まあ映画だから、妖精みたいな人を描いたとしてそれ自体で問題があるわけではないが……。

セリフも、もともとヴェンダースの書いたものを訳しながら調整しているのかもしれないが、会話の出来ははっきり言って悪い、というか「これって会話じゃなくない?」と思う。
『ベルリン・天使の唄』では会話が詩的なモノローグとして処理されており、それが見事だったけれど、舞台が変わって東京の見慣れた風景に日本人が並んでいると、人間というより運命に従順な駒(妖精)に見えてしまう。

ヴェンダースといえば、『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の唄』、『都会のアリス』ではあるだろうが、日本に対するフェティッシュな目線として『東京画』があることは今作を観る上で重要である。この映画はそもそもフェティッシュな押し付けなのではないか。
最後に「木漏れ日」が出るのも、ガイジンの理想化した日本って感じがなあ……。「イキガイ(生き甲斐)」がペンギンブックスから出て海外でベストセラーになっていることも思い出される。

もちろん画は美しいし、役所広司の仕事は素晴らしく、観る価値のある作品ではあるけれど、カウリスマキが『枯れ葉』で試みた社会の取り入れ方を思えば、こちらは晩年のフェティッシュな遊戯に思えてしまう。

批評っぽくて、おあつらえ向きな比喩として、スカイツリーをバベルの塔になぞらえることはできる。ただ、役所広司たちが生きるのはそんなレトリックが有効な世界ではないだろう。そして、もしバベルの塔だと言ってみせることに意味があるのなら、この映画に切実さはないだろうとも思う。
いずれにせよ、不確かな足場の上で消えつつある、白昼夢のような世界が描かれている。それが何なのかといえば、ただヴェンダースが見た夢なんじゃないの。
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