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首のレのネタバレレビュー・内容・結末

(2023年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

前情報なしで観たが、序盤から黒澤明、大島渚との接点は感じられる上、たけしが秀吉を演じるのは映画史における秀吉という文脈を背負っているのではないか、という勘ぐりも起こさせたが、笑いどころが多すぎて途中でどうでもよくなった。以下まじめな感想

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これまでの北野映画が、特にその死生観において任侠映画のお約束を破壊するものだとすれば、これは任侠映画が時代劇に置き換わったものだといえる。

作中の死に様はどれも無様である。なんの準備もないときに襲われて死に、卑小な足軽に斬られて死に、死んで誰かが悼んでくれるでもなく首を蹴飛ばされる。時代劇のお約束──誰かを守るために死ぬ者も、体中を刺されながら何人も道連れにする豪傑も──いないのである。

死を受け入れる、責任を取って自刃する、約束を守る、というような、一般的には堂々たる英雄の特徴として描かれる資質は、この映画のプレイヤーには微塵も備わっていない。彼らはむしろ誰もが狡猾に振る舞い、虚実を使い分けている。
現世で死を飾りつけ、骨を拾ってくれるのは権力だが、その権力を手に入れなければ、死んだところで自分の生首は蹴飛ばされるだけだろう。だからこその権力争いなのだ。

死を装飾するものであると同時に、北野武にとって権力は歯向かうべきもの、茶化すものである。切腹する武士の“手続き”を咲うのは作中屈指の笑いどころだが、あれは権力の後ろ盾をレトリックひとつで消去しているわけだ。閻魔大王の話だってそうである。

類似した映画として挙げる人はあまりいないと思うが、実はリンクレイターの『30年後の同窓会』とミッシングリンクがある作品ではないかと思った。
北野武のすごいところは、「葬式中に坊主の頭に蝿がとまったら面白いだろう、笑わずにはいられないだろう」という、いかにも誰でも思いつきそうな発想を陳腐さなく仕上げるところである。

ところで、死体はずっと陳腐だが、画の方はそうでもない。死体の上に砂埃が立ち込め、自然光が降る画をぼんやり映すショットや、死体と対照をなす静かな水面のショットは忘れがたい。エンタメに振り切った作品だが、目に焼きつく画がいくつもある。


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上映前にゴールデンカムイ実写の予告が流れましたが、実はこっちがほんとうのゴールデンカムイ実写化だったらしいです(なぜなら一攫千金を狙う男たちによる暑苦しく血みどろの争いだから)。

※なのでゴールデンカムイの実写版なんて作品はガセであり、幻であり、実在しません。みんなも騙されないよう気をつけてください‼️
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