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リコリス・ピザのレのレビュー・感想・評価

リコリス・ピザ(2021年製作の映画)
4.1
70年代のアメリカに何かを託してしまう人間には刺さる。刺さるけど、おバカなラブストーリーとして受け取るには屈託がありすぎて、後半は困惑しながら観ていた。(謎のバイクスタントやるあたりまではサイコー!って感じ)

警察に連行されたあとに走るシーンも、ウォーターベッドのバカバカしさも好きだけど、これたぶんそういう映画じゃないんだよね……?そうだよね?

ワンハリのときも20センチュリーウーマンのときも思ったが、アメリカ人には、1970年ごろ──ベトナム戦争末期で、カウンターカルチャーが力を持ち、国際的な覇権が危うくなる時期──を生き直したいという強烈な欲望があるらしい。
あるいは、映画というフォーマットでハリウッドに言及すると、自然にそういう形をとってしまうのだろうか。それにしても、なぜみんな70年代の迷路に入りたがるのだろう。

日本のフェティシズムに置き換えて考えてみると、平野ノラみたいなバブルのカリカチュアとか、YouTubeで見る90年代のいいとも!とか、ヴェンダースが『東京画』で撮ったエキゾチックな都心とか、似たような対象はたくさん思いつくが、それらが同時代の映像作品として再編されていく感じはまったくしないし、現代のアメリカ映画が自己言及的に映画史に身を寄せる身振りがいまだによくわかっていない。


いま思いついたことにすぎないが、“ムービー”(“シネマ”ではない)の本懐は、自分たちが作り出した文脈に自己言及し、増殖していくことかもしれない。

たとえば、いま上映しているバズ・ライトイヤーのスピンオフやSWの新作はあからさまな二次創作としてわかりやすいけれども、ディズニーもマーベル もPTAもウェスもタランティーノもリンチも、ある時期のアメリカのポップカルチャーを土台に、二次創作として存在しているというか……。

でも、どうしてそんなことをしているんですか?いっぽうで、まじめに現代の問題を描いている『ノマドランド』みたいな映画がつまらないのはなぜなんですか?アメリカ映画においては、直接的な社会批評よりも、いったん20世紀の夢をくぐってからなにか言うのが賢いみたいな感じなんですか?私はもう寝るので、ここから先はみんなで考えてください。


ハイム三姉妹が出てくることもトム・ウェイツが大暴れすることもジョニー・グリーンウッドがスコア書いてることも知らずに観に行ったのでぜんぶびっくりしました。
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