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枯れ葉のmochiのレビュー・感想・評価

枯れ葉(2023年製作の映画)
4.3
これだけは絶対観に行かねば!と思って鑑賞。一番好きな監督の一人のアキ・カウリスマキだが、初めて観たのが2021年なので、当然リアルタイムで封切りを経験するのは初めて。だから、劇場でカウリスマキを観る、というのはちょっと不思議な感じがした。こういう経験が可能になったのは、カウリスマキが引退を撤回したからなので、引退撤回に心の底から感謝したい(最近こんなことばっか書いている気がする)。これまでのカウリスマキ作品の特色を引き継いでいるところと、新しく挑戦している部分がある。引き継がれた特色は、本筋となりうるストーリーを廃棄していく点、音楽をその歌詞も含めて効果的に使っていく点、ブルーカラーの悲哀をコメディタッチに描いていく点、突如として現実を突きつけるセリフを役者に言わせる点、不器用な人々を描き、その人々を愛おしく感じさせ、また応援したい気持ちにさせる点、先人や同時代を生きた映画監督へのリスペクトが散りばめられている点。一方で、新しく挑戦している部分は大きく分けて二つある。一つ目は、これまでのカウリスマキ作品では、中心人物に不幸が「降りかかる」ことで話が始まることが多く、彼ら自身には責任は一般的にはないと思えるのに対し、本作品では、社会通念として問題のある行為を中心人物がすることにより、不幸と「なる」ことで、話が始まる点。このようにすることで、単にブルーカラーの悲哀を描くだけではなく、人々の弱さや難しさ、といった点も描くことになり、観客をひきいれさせる効果がある。例えば、アル中はある種の心の弱さ、不安の表れであり、この点は現代を生きる我々には、ブルーカラーでなくてもよくわかるものである。また、廃棄をめぐる論争は、一見すると雇用主を非難する構図にも見えるが、雇用主の主張は社会通念と一致する。問題なのは雇用主ではなく、監視していた人物が、「指示に従っただけだ」と述べるように、よくわからない規則であっても我々が従い続けているという事実である。こうしたよくわからない規則から外れること、また規則に従うことの複雑さであり、主人公の言い分が正しいように思えても、単に彼女に過失がない、と言い切ることは難しい。こうした難しさを、我々は常に経験しているのである。第二の挑戦は、ラジオで繰り返し述べられるウクライナの戦況である。こうした極めて現実的な要素、リアルタイムで起こっている出来事を取り上げるスタイルは、観た範囲のカウリスマキ映画ではみられなかった。これまでブルーカラーの悲哀な現実を感じさせる発言が、美しい夢のような世界に急に侵入してくるのが、カウリスマキ映画の特徴だったが、このウクライナの描写は、ブルーカラーに限らず、この美しい世界の裏側では、悲惨な状況があることを嫌というほど自覚させる効果を持つ。それはラジオのチャンネルを変えれば美しい音楽が流れてくるのと類比的である。世界はラジオのチャンネルのように、多数の局面から構成されており、我々が観ているのは一部でしかない。しかし、他の局面に目を向ければ、つまり、ラジオのチャンネルを変えれば、全く違うものが、広がっているのである。
音楽は相変わらず最高。「竹田の子守唄」はなんか日本語っぽいなーとは思ったけど、本当に日本語だとは気づかなかった。フィンランドのデュオの歌の使い方もさすが。一人でいいという歌を聞いて、一人でよくないことを自覚する描写はなかなか。ZZ topのtシャツも良い。
ゾンビ映画がジャームッシュのものとは知らなかった。映画のシーンで、二人の男が感想を言い合うシーンで、声をあげて笑いそうになってやばかった。面白すぎる。そしてその後ろと横に、「ラルジャン」と「気狂いピエロ」のポスター。芸が細かくて良い。小津へのオマージュもあるって、カウリスマキは言ってるみたいだけど、私はわからなかった。「こんなに笑ったことなかった」も無理矢理すぎる感想でおもろい。全然笑ってなかったぞ。
他にも、再び映画館で再会したときの会話とか仕草とか面白いよなー。財布にしまって胸ポケットチャックするとか、靴を三足!とか。どうやったら思いつくのか。意識不明のときに読み上げたのが、やばい殺人事件なのとかも緊張と緩和で面白かった。 
個人的にはカティ・オウティネンとマッティ・ペロンパーの黄金ペアが好きなんだけど、今回の二人もかなり良かった。特に、女性の方、完全にカティ・オウティネン2世じゃん。最後のウインクも、これぞカウリスマキ、という見事な描写だわ。うまくいってないときのバスの後ろでうまくいってるカップルをやんわり見せるのとかオシャレだよなー。バス停で寝落ちしてるときの場面の後とか、2人とも工場で働いてるのにそこでは出会わないところとか、予測を外すのがとてもうまい。
カラオケ王もいいキャラだよな。循環論法の指摘とか。5分時間とって話すのがそれかい、とか。一緒に出かけるときの割れた鏡のシーンとかも素晴らしい
犬が多分大きな意味持つんだろうけど、どういうことなんだろう。いままでのカウリスマキ映画で動物を観た記憶があんまり多くない。あと、「枯れ葉」はどういう意味なんだろうか。自分たちが落ち目のときに出会った2人ということか?あるいは、自分がたくさん映画を撮った時期、つまり夏が終わって、これが自分の残った葉っぱだ、ということにも思えた。そうだとしたら悲しい。長生きして、もっとたくさん映画撮ってくれよ!
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