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ラヂオの時間のmochiのレビュー・感想・評価

ラヂオの時間(1997年製作の映画)
4.0
三谷幸喜作品が久しぶりにみたくなって鑑賞。これが監督一作目なのか。もうすでに現在三谷幸喜の特徴とされているものは完成されていたのだということがよくわかる作品。ドタバタコメディが展開されていく中での伏線の回収、少しの感動、そして最終的には人生についての考察を提供してくれる。ビリー・ワイルダーに三谷幸喜は憧れているらしいが、ビリー・ワイルダーを観たことがないので、鑑賞してみたくなった。一方、コメディでありながら、正直いい意味で辛くて笑えない。鈴木京香さんに強く同情してしまう。
プロデューサーやその上司が良いことを言うシーンがあり、そのシーンが感動できる名シーンのように撮られているのは、三谷幸喜流の皮肉であると主張したい。このシーンに感動した人は、すでに三谷幸喜およびプロデューサーサイドの戦略にはまってしまっており、状況を冷静に見れば、台本の制作者が被害者である。プロデューサーとその恋人が抱き合うシーンも同様である。よく映画で使われる、スローモーションを駆使したロマンチックな抱擁は、三谷幸喜流の皮肉であろう。
本作品で一貫しているのは、製作者サイドで良い作品を作りたいと主張したり、礼儀正しく行為する人物が、軒並み周りにいい顔をして、番組を成立させること以外の興味がないということである。具体的にはプロデューサーとその上司が、こうした存在として描かれる。一方で、序盤で彼女に忠告を与える嫌な存在として描かれている唐沢寿明の演じる役だけが、製作者の台本通りにドラマを作ることを望んでいる。しかしながら、彼を突き動かすのは責任感であることもまた、忘れてはならない。彼が起こした行動は、あくまで自分たち自身のためであり、良い作品を作るためではない。いわば自己の起こしたことに対して責任を取ろうとする行為なのである。
この考察はプロデューサーおよびその上司を悪とし、唐沢寿明の演じる役を善としたいわけでは決してない。放送局にはこうした悲しい構造があり、その中での対立もまた、作品にベクトルがついたものではないということである。ラストでは、鈴木京香さんもまた、こうした業界に新しく参入する人物として描かれる。
このようにこの映画を観ると、全く笑えない。むしろこの映画を貫くのは皮肉であり、こうした環境に身をおく三谷幸喜自身に対する批判であり、自戒である。制作者サイドに自己を置きつつ、現実主義的にならざるを得ない状況の中で、それでも自分自身を丸め込んで、映画制作を続ける業界と自己の矛盾を描いた映画である。
鈴木京香さんをなるべく普通の女性に見えるように努力しているが、美しさが溢れ出てしまっていますな。唐沢寿明さんもカッコ良すぎてやばい。あと、アドリブの演技を演技するのはすごく難しいはずだが、どの役者もすごい。特に、戸田恵子さんが演じる女優はは性格が悪いが実力がある役なので、声優も女優もハイクオリティでこなせる戸田恵子さんを起用したのは大正解だったと思う。
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