Scarlet

四月になれば彼女はのScarletのレビュー・感想・評価

四月になれば彼女は(2024年製作の映画)
3.5
“自分を三分割してこの愛を理解する”

川村元気の原作は未読だが、その原作の原作、サイモン&ガーファンクルの 
April
Come She Will(4月になれば彼女は)の歌詞は知っている。

4月には愛情が溢れていて、5月には
彼女はまだ一緒にいて、7月に突然彼女は出て行ってしまう、何の予告もなく。8月には死んでしまうかもしれない。9月に僕は、新しい愛も、やがては色褪せる事を知る。という内容。

この歌詞をベースに書かれた原作と映画だが、本作品は、物語を捉える視点を観客に委ねているところが素晴らしい。

藤こと藤代俊(佐藤健)の視点ではなく、弥生(長澤まさみ)の視点でもなく、春(森七菜)の視点でもない。

春から届く、世界の秘境からの手紙が誘導役になって、3人各々の過去と関係性が、少しずつわかってくるという、興味深い設定。

弥生が藤に投げかけた質問、

“愛を終わらせない方法、分かる?”

は、監督から私達観客に向けての問いかけに他ならない。

自分を三分割して3人各々になってみないと、この物語の本当の意味はわからないのではないか?

藤は、精神科医でありながら、女心を感じ取るのに疎い人間。

弥生の誕生日にワイングラスが割れた時、彼女がどんな表情をしていたか、全くわかっていない。それが2人にとってどんなグラスか、考えれば分かる事なのに。

10年前、春が世界撮影旅行を断念した時の、彼女の身を引き裂かれるような思いから、彼は逃げた。

父親の、春に対する異常な愛情と束縛に、恐れをなして逃げたのだ。

そして、弥生が結婚直前に失踪した今回も、その原因と向き合い、彼女ヲ探すことから逃げている。

弥生は、本当に人を愛したことが無かった女性。そしてもしかしたら、親からも余り愛されていなかった女性。

彼女の名前にまず違和感を感じた。
4月1日生まれなのに、何故”弥生”なのか?
親は子供の名前に愛情と希望を込めるものだ。弥生という名前を考えていても、生まれたのが4月になったなら、普通、愛情を持って4月の和名、”葉月”にするとか、若葉のような、4月らしい名前にするのではないか?

彼女が人間よりも動物を愛するようになった、バッググラウンドにも思えてくる。

春は、本当に春の陽だまりのような女性。
純粋に藤を愛し、父親からの異常な愛情も受け止め、その板挟みになって苦しみながら、自分の幸せより父親をとってしまった心優しい女性。

だがここで、1つの疑問が浮かぶ。

春は、今の藤の状況を全く知らずに、10年振りの手紙をを何通も送ったのだろうか?

実は始めから、婚約者、弥生に読ませるために書いたのではないか?
自分が手に入れられなかった、藤との結婚を手に入れる女性に対する、過去からのメッセージ。

後半の展開から、一見純粋に思えた春の行動が、別の意図に思えてきた。
そして、春が藤に残したカメラの中の1枚の写真が、彼女の本当のメッセージだ。

3人を分析しても、やはり愛という、形の無い人類永遠のテーマを語る事は難しい。

監督からの問いかけに私が答えるとしたら、
“愛を終わらせない方法は 2つある。”

1つは、弥生が言ったように、最初から手に入れないこと。愛さない事。愛している振りをすること、と言い換えても良い。

もう1つは、愛し続ける努力をする事。
相手から愛されなくなるより、自分が相手ヲ愛せなくなる方が、私はいつも怖かった。

冷えきった愛を温める努力をしたり、相手の別の部分を見る努力をしたり。を一生懸命ではなく、ダラダラと気楽にやっていく事で、なんとなく愛は持続できるのでは。

これから観る全ての方達は、この問いかけに答えられるだろうか?

映画はエンドロールまでが作品だが、
本作のエンディング曲、藤井風の”満ちていく”は、映画と一体化していて心地よい。

まるで、春からの手紙と共に送られて来たような、どのシーンにも溶けていく名曲だ。
Scarlet

Scarlet