ヒナウラ

瞳をとじてのヒナウラのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

まず告白しないといけないことに、ラスト、スクリーンを見つめるガルデルと呼ばれている男が瞳をとじたところを目撃できなかった。それまでの彼の表情にはなかった、意志が見えた気はしたが、それはなぜなのか。とにかく瞳は開いたまま、画面が暗くなったように見えたのだが、どうもそうではないらしい。

言い訳になってしまうけれど、そのショットの直前の、ミゲルが振り返るショット―スクリーンからの光をわずかに受けながら、まるで自転している地球を宇宙からとらえるかのように顔を回転させ、ガルデルにまなざしを向けるミゲルのショット―に驚きと感動を覚えすぎたせいかもしれない。

この映画はおもに、人物たちの会話で物語が展開される。立ちながら、座りながら、正面を向かい合ったり、斜めに向かい合ったり、横ならびもあれば、円を囲むような場面もある。そこでは、言葉と同時に視線劇も語られている。

中でも振り返るという行為は、その人自身の意志がはっきりと示されたときだけの、特別な視線に思えた。ガルデルの住む建物にひとり入ろうとする前、振り返ったアナのまなざし。一方でその後入室した彼女に目を合わせるガルデルも振り向きはするけれど、あくまでもベッドに横になっていた体勢上、振り向かざるを得なかっただけで、「振り返る」までの強さはないのではないか。

そして、未完の映画『別れのまなざし』の上映前、わざわざ観客に席を指定したミゲルは、それまでとんでもなく過去を振り返っており、その様子を、映画は数時間という、ちょっと尋常ではない時間をかけて綴ってきた。
くわえて、彼が過去を振り返るという行為は、彼の前に現れた、過去にまつわる事物に端を発し、突き動かされてきた。テレビの取材にはじまり、水兵時代の写真であったり、かつての恋人に送った自著本や、キングの駒。
一方、フリオとおぼしき男ガルデルの前にも、写真や紐といった、過去にまつわる事物が現れはするものの、反応はミゲルのそれとはちがっていた。
もちろん、ガルデルは記憶を失っているからではあるけれど、だからこそ、ふたりにとって過去の集大成的な事物である『別れのまなざし』を観るガルデルに対して、誰よりも前に座り、わざわざ振り返って視線を送るミゲルを映したショットは、美しく、まさに奇跡と思えた。


ところで、映画館で映画を観る人をとらえるのはもちろんのこと、アナだけでなく、エストレリャという名前も何気に発せられていたし、雨降る中、フリオが夜通しいたと思われる車を映したショットは、光の明暗でもって時間の経過を見せていて、本当にひさしぶりの長編映画でも、やっぱりエリセの映画。とはいえ、あのときの、なんというのか、それは寂しさのようなものもふくめて、この世界観に浸っていたいというようななにかとは、異質の映画でもある。老いることや映画にたいする危機を感じてのことなのかはわからないけれど、かつてと今のスタイルが共存する映画。

メモとして、冒頭の『別れのまなざし』での切り返しショットの中で、写っていない人物が放つ煙草の煙を映すところが、その量からして、ただの煙草の煙として映していない感じがして惹かれた。

また、切り返しショットといっても、たとえばミゲルがアナと再会したカフェの場面での、アナのアップの長廻しは異様にも思え、あらためて、見つめることについても意識しながら再見したい。
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