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瞳をとじてのKSatのネタバレレビュー・内容・結末

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

「ゴジ」こと長谷川和彦、78歳。彼は多分、存命する世界中のあらゆる監督の中で、最も「最新作が古い」監督だ。1979年の「太陽を盗んだ男」以来、実に45年以上新作長編映画を撮っていないのだ。

では2番目に長いこと長編映画を撮れていないのは誰か。それはハッキリしないが、ビクトル・エリセは長年その最有力候補の一人だった。そんなエリセが、なんと30年以上経って物凄く久しぶりに新作長編を撮ったという。Facebookを見ていると、何やらゴジはようやく新作を撮ろうと動き始めているらしいが、ぜひエリセを見習って撮る撮る詐欺にならないようにしてほしいものである。

さて、このように新作長編を長いこと撮れずにいる監督は世界中にたくさんいるものだが、面白いことにこのエリセの新作は、そんな新作長編を撮れずにいる監督ミゲルの物語だ。彼は、かつて撮影中だった映画で主演俳優フリオが突然行方不明となり、以来、30年以上新作が撮れなくなってしまう。しかし、フリオと思われる男が見つかり、ミゲルは過去と向き合うことになる。

ミゲルがエリセ自身のことであるのは言うまでもなく、この映画は非常に内省的なものになっている。しかし、「長年映画が撮れなくなってしまっていた監督が、とあるきっかけから再び過去に向き合う」というプロット自体は、特段新しいものではない。

というか、これ、同じスペイン出身のペドロ・アルモドバルが「抱擁のかけら」や「ペイン・アンド・グローリー」で扱ってきたモチーフである。エリセとアルモドバルという、同じスペイン出身でありながら比較されることすらほとんどなかった全く異なる作家性を持つ2人の監督のプロットが類似していくのは、非常に興味深いことだ。

また、劇中劇のフィルムに映る邸宅の雰囲気などを見て、個人的にはゲリンの「影の列車」も思い出した。あれも、忘れ去られたフィルムと記憶についての映画だ。

このように、この映画はどこかで見たような要素が多く、必ずしも目新しい映画とはいえない。正直、3時間弱の長尺は少ししんどいし、前半の1時間は(冒頭で提示される劇中劇以外は)退屈と言って良い。

だが、フリオと思われる人物が記憶喪失の状態で見つかってから、物語は急速に動き出す。

特に、アナ・トレント演じるフリオの娘アナが、夜の暗い施設の部屋に入り、「私はアナよ」とつぶやき、目を閉じる場面。彼女は50年前のあの映画のアナのまま、現実と映画の壁を超える。ちょっと出来すぎな気もするが、思わず涙が溢れてしまった。また、その前後の場面におけるフリオが過ごす施設の窓から差し込む光や、壁の色にも注目したい。

そして、ラスト。そうか、フリオというのは、エリセにとっての「映画」そのものだったんだな。そんなフリオが、「瞳を閉じる」。間違いなくこれは、エリセの遺作になるのだろう。
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