ミヤザキタケル

アイアンクローのミヤザキタケルのレビュー・感想・評価

アイアンクロー(2023年製作の映画)
4.3
プロレスにおいて対戦相手の顔を手で鷲掴みにする攻撃「アイアンクロー」の生みの親であり、かつてアントニオ猪木やジャイアント馬場とも激闘を繰り広げたレスラー、フリッツ・フォン・エリック。その息子であり、父と同じくプロレスの道を歩んだフォン・エリック家4兄弟の実話を基にした物語。

1986年生まれの僕は世代ではないため、「アイアンクロー」という技自体は知っていたものの、フリッツ・フォン・エリックのことも、度重なる悲劇に見舞われ「呪われた一家」と呼ばれるようになったフォン・エリック家のことも知らなかった。が、そんな僕であろうと問題なく物語に入り込むことができたので、「題材がプロレスだから」「フォン・エリック家のことを知らないから」などの理由で観るか否かを悩んでいる方がいれば、どうかご安心を。むしろ、本作の根底にあったものは、万人に刺さり得るものであったように思う。

本作が実話ベースであるのと同時に、兄弟が辿った道は既に明らかになっていることであるため、これをネタバレであると捉えて欲しくないし、そんな風に捉える必要もないのだが、ケビンを除く兄弟すべてが若くして亡くなっている。それは、一族代々の呪いのせいなのか、単なる不運の連続なのか、怪我のリスクが付き物であるプロレスというスポーツのせいなのか、それとも父が決めた生き方を強いられてしまったせいなのか…。その真相は分からないし、僕たちが断定できるものでもない。ただ、そんなフォン・エリック家の在り方を通して見えてくることがある。

生きていれば、誰だって人生に思い悩んだり、生きていく希望を見出せなくなってしまう瞬間が訪れる。でも、道は決してひとつではないはずだし、どこかに必ず希望はある。けれど、そう理屈では心得ていながらも、いざ苦しみや悲しみの渦中に身を置けば、視野も心も狭くなり、道を見失ってしまいがち。だからこそ、当事者ではない“観客”という立場で兄弟たちの葛藤を目にすることで、その構造に理解が及ぶ。アイアンクローを食らっている最中は、視界も塞がれ痛みが伴うばかり。しかし、手や足を必死に伸ばせばロープブレイクのチャンスがあり、それがタッグマッチであれば、パートナーが救い出してくれる可能性もある。そう、救いの手はリングの内側ではなくリングの外側にある。

時代的な要素も大きいが、父親が絶対的な力を有するフォン・エリック家。向けられた期待から生じるプレッシャーの中、互いに支え合うことで何とか均衡を保ってきた兄弟たちであるが、それもやはりリングの内側だけでの話。自分の家庭・家族を築き、リングの外側に新たな繋がりを築いていたケビンだけは異なる道を歩んだが、もし仮に「フォン・エリック」という名のリングの外側に目を向けることができていたのなら、亡くなった兄弟たちにも異なる道があったのだろうか。

目先の痛みや苦しみにだけ囚われるのではなく、周りにあるものを見渡すことの大切さ。今抱えている想いだけが人生のすべてではないし、今ある状況が永久に続いていくわけではない。その事実にこの作品は気付かせてくれる。それでもやはり、当事者になってしまえば冷静ではいられなくなるだろうし、不安に心が蝕まれてしまうのだろうが、“本作に出逢っている”という経験が、何かしらの作用をもたらすこともあるかもしれない。

自らの実人生に向き合い、思い悩み、道を模索し続けている人であれば(即ち万人)、きっと響くものがあると思います。是非劇場でご覧ください。