Masato

アメリカン・フィクションのMasatoのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.3

アカデミー賞ノミネート作品

笑って泣けるハートフルなコメディドラマでありながら、社会風刺と皮肉がたっぷり効いた不思議な映画。毒気はありつつも、終始ものすごく爽やかで気持ちよく終わる。そのうえめちゃくちゃ考えさせられる。高度で知的な映画でもある。

ものすごいサタイアな要素が前面に紹介されていたのでそこがメインだと思われているが実際は違った。あくまでも風刺は家族ドラマの一要素にしかすぎない。所謂黒人ゲットーの生活ではない、経済的余裕も教養もある家族で生まれた主人公エリソンだが、ずっと苦難の連続に立たされて家族は崩壊の一途をたどっている。

おそらく、エリソンはいままでずっと自分の家族のことを小説にしていたのだろう。黒人に限定されない形で。なのに世間は黒人作家に対して黒人ゲットーの話にしか興味がない。自分は苦しいんだ!と文学を用いて世間に知らしめても、誰にも見向きもされない。彼は人知れず孤独を味わっていたのだろう。

だが、避けていた家族たちと再び交流することによって、その孤独は徐々に修復されていく。問題はなくならないし、苦しいことも多々あるだろう。でも見向きもしてくれない社会に叫ぶよりも、今いる家族たちともう一度向き合って話し合う。そのほうが大切だと静かに悟る姿は良かった。

だから最後はそんなクソッタレな業界に迎合してやってとことん儲けてやろうとヤケクソになる姿はこれまた皮肉でリアル。見たいものしか見たがらない社会や文学・映像業界に対して同情を寄せることはなく、ひたすらバカにする。

物凄く難しい問題。らしさが娯楽的にも社会的にも意味のあるものになって良いと思うんだけど、それが世間から求められすぎたら、それがステレオタイプになって、それしか求められなくなってしまって、そうではないけど良質な作品が見向きもされなくなる。さらに逆に偏見も強くなってしまう。今はアジア系の物語がハリウッドでも多いけど、今度そのアジア系の物語のステレオタイプができてしまって、それ以外の物語は見向きもされなくなるような事態が起きてしまうのか。

黒人による黒人の映画は幾度も作られて、幾度も賞を獲得してきたし、これまでは注目されてこなかったアジア系もラティーノたちも女性も脚光を浴びてきた。それは多様性を尊重する風潮が良しとされてきたからである。ただ、それがただの金儲けに利用され、白人(そして男性)の免罪符にだけ使われてしまうことだってある。アンバランスになってしまうと、当事者にとっても良くならないし、その不満によってバックラッシュしてしまい、差別と分断が生まれてしまう。

かくいう自分も本作で描かれるような受け手になりかねない、既になってる危険性もある。ただみんなが等しく認められる社会を作りたいだけなのに、それが簡単にできないこの社会、この人間の複雑さ。もともとは差別が存在していることが問題なのに。なんか悔しい。

自分には身につまされる話だった。自分は海を超えた場所からアメリカを見ていて、そのアメリカやそれに影響された世界がもっとより良い社会になればという思いで、マイノリティたちを扱った良い作品を祭り上げてきた。でもそうした感情がバカな商業主義の連中に利用されていたのか?という怒りや、かくいう自分は価値観の悦に浸るために、黒人に耳を傾けるといってすぐさま無視する白人連中みたいに、マイノリティを利用しているだけで、そんなことをしていないか?自分はそんな連中なのか?と考え込んで辛くなってくるし、見た後ずっと断罪されたような感覚でいる。善意でやっていたことがただの偽善だったかもしれない。

需要と供給という関係性があるかぎり、必ずこういうことが起きてしまう正解のない問い。故に供給側も需要側も考えなければならない。

自分はてっきり皮肉と風刺に期待して見ようとしたので、まさかの家族ドラマに不意をつかれて感動しまくりだった。幸せな瞬間と苦しい瞬間が交互に訪れていくのがものすごいリアルで共感した。自分は祖母が認知症なのでよくわかる。

面白かったけど、ずっと罪悪感のようなものが残り続けて良くも悪くも嫌な映画だった。でもこれが作品に対しての考え方を見直すきっかけを与えてくれたかもしれなくて、それはありがたかった。本作は皮肉るだけ皮肉って作り手のスタンスは見せてこないクレバーな映画だから、ポリコレガーしてる人にも刺さる面白い映画。あまり考え込まなくて良いのかも。
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