再鑑賞。
28歳の新人が映画に革命を起こしたヌーヴェル・ヴァーグの金字塔。
「男と女と一台の車があれば映画が撮れる」―ジャン=リュック・ゴダール
「映画とは銃と女である」
―デヴィッド・ウォーク・グリフィス
冒頭、「車」に乗り込んだ「男」が、駆け寄ってくる「女」にあばよと言って車を飛ばし、車中にある「銃」を手にする。
これさえあれば、という映画に必要なものを冒頭に全て入れるゴダール。
描くのは「男と女」。単純だが複雑で、複雑だが単純なテーマ。
「女」のパトリシアはアメリカ人の留学生で記者志望。愛しているけど愛したくないとか、愛されたいけど愛してほしくないとか、相反する感情を口にする。
そして、自分を必要とする男に寄り添いながら自分の気持ちに答えを出す。
「男」のミシェルは自動車泥棒の常習犯
で警官殺しの逃走犯。ろくでなしである。ミシェルの頭にあるのは、金を手に入れてパトリシアと一緒にイタリアへ行く、ただそれだけだ。
なぜイタリアなのか?フランスにうんざりだから。なぜ彼女を連れて行くのか?惚れているから。男は単純だ。
そんな二人が肩を並べてシャンゼリゼ通りを歩く場面は洒落ていて絵になる。
「新しい波」である若き監督たちは、手持ちカメラで街頭撮影、即興演出により、撮りたい場所で撮りたいものをカメラに収めた。
ゴダールが捉えた景観は、ただただ美しい。単なる街路樹が白黒のコントラストに水墨画のように映える。
くわえタバコとサングラスのミシェルが、ボギーに向ける憧憬の眼差しが印象的だった。
作家がインタビューに「重要なのは2つだけ、男と女だけ」と答える。その言葉はオッカムの剃刀に思えた。
「フランス女性とアメリカ女性の相違」だとか「エロチシズムと愛の相違」だとか、感情論や恋愛観を剃ぎ落としていけば、そこにあるのは男と女で、好きか嫌いか。
ミシェルがパトリシアに言った最低という言葉は、思い通りにいかない自分の人生に言っているように思えた。
余談
沢田研二のヒット曲「勝手にしやがれ」のタイトルと歌詞は、この作品が元になっている。