「凝り固まった映画ファンの映画的常識に挑む野心作」という煽り
副題の「狂宴」と、キャッチコピーの「宴が、はじまる」
予告の感じ
もろもろ、さすがに大げさだったかも。
猟奇的な何かを想像しちゃったし。
それがいわゆる「凝り固まった映画ファンの映画的常識」ってことなのかもしれないです。
あの感じだとラストは毒が盛られているんじゃないかとか、何かの肉が織り混ぜられているんじゃないかとか。完全に、アリ・アスターあたりに毒されてますね。でもキャッチコピーは完全にミッドサマーだし、、、
それにしても評価の点数が低すぎる気はする。
「フィースト」という単語は、豪勢な料理、ふるまい、おもてなし、みたいな印象。
とにかくすごいご飯!
そしてそれはそのとおりだった。すごかった。
見慣れぬ料理たちなのでなおさら感動。鶏!豚!
ふるまわれた側も、「これはとても手間がかかったんじゃない?」って、ふるまった側も、「臭みを取るためにこんな処理をして」って説明してるのとか、新鮮。
軒並みおいしそうだったけどデザートだけはどうしても味が想像できなさすぎてあまり食べたいと思わないのもあるある。
犯罪の懺悔に対し、「わたしは許されるのでしょうか」と問われた神父。これどうすんの?自分だったらどうしよう…と考えていたら、「大切なのは、あなたが許されたいと思っていることです。それは、謙虚な心の証しです」的な回答していて、これは汎用性高い!!ってなりました。使えるね。何かに
【以下観た人と語り合いたい内容】(ネタバレあり)
価値観が試されるという意味ではそうかもしれない。
フィクション的要素を排除したら、たしかに現実はこう落ち着くかな、と、わたしは思ってしまった。
自分の大切な人を殺した人間と住むなんて、世話をして世話になるなんて、人によっては「ありえない」「理解に苦しむ」となるし、凶器である車に乗って買い物に行くなんてどういう神経?って。それはそれでそりゃそうよねーと思う。
でも、失った悲しみを一生背負うわけにもいかない。
子どもたちとの生活もある。
とかいろいろ考えたら。
裁判では白黒はっきりつけて、お金ももらって。
復讐なんてする暇はなくて、まずは目の前の自分たちの生活のこと、となるのは想像に難くない。
「実際のとここうだろな」っていうのは、最近の邦画や欧米の映画では味わえない感覚かも。まあ、味わいたいかというとまた別というか。作品なわけだし
あと、元妻とのあのへんの「いる?」って感じもね!
もしこの映画で現実的でなかったなと思うことがあるとすれば、あれだけ慕われてるお父さんが事故直後にああいう判断をしたってことかなあ。
死んだ方のお父さんは、優しさと性格の良さが外見に滲み出てるのがすごい
そういえば、被害者家族にいたまつげばっさばさの女性は誰だったんだろ。
あと、フィリピンの民家はみんなあんなふうに屋外にキッチンがあるのかな。