レインウォッチャー

ゴースト・トロピックのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ゴースト・トロピック(2019年製作の映画)
4.0
Get Lost。終電を寝過ごして終点まで行ってしまったおかあちゃんが、寒空の下ひとり歩いて帰ることになる話。
そんなごくごくシンプルな、《物語未満》に寄り添う。なんだかとても贅沢な時間の使い方を許してくれる作品だ。

「真夜中の一期一会」なんてコピーがついていて、確かに彼女は途上でいくつかの出会いを経験する。ショッピングモールの警備員、コンビニの店員、ホームレスと犬、などなど。
しかし、殊更にハートウォーミング的な印象ではない、と思った。かといって逆に冷淡すぎることもなく、映画はまるで彼女の目前に佇む夜そのもののような適切な距離感を保っている。

出会う人々は誰もが深夜の街に生きる夜行性の生き物としてそれぞれの縄張りと生態を全うしているかのようだし、ビルの清掃員である主人公を含め、移民系労働者が直面している経済格差のような社会構造がふとしたタイミングで顔をのぞかせたりもする。
ただしそれもまたこれ見よがしではなく、主人公も寡黙であるぶん、この映画から何を見つけて拾うかは観る者のコンディションに寄るかもしれない。冷たく濡れたアスファルトは、心のうちを映す鏡になり得る。

カメラは、まるで空気の流れの中で生まれては消える精霊のような視点を持っている。気まぐれに主人公のもとを離れて、空中を滑るように車道を流れて行ったり、部屋の中に留まっては隅の物言わぬオブジェクトを見つめ続ける。
そんな浮遊感ある動きが、時にどうしようもなく虚ろな《孤独》を描き出すことがある。とぼとぼ歩く主人公を置き去りにするように視界が離れていくとき、自室の窓で闇と境界がなくなった影を見るとき、空き家に住む男の何も言わない視線や、電話をかける誰かの声…

今作から直接的に思い出した映画がある。シャンタル・アケルマン監督の『一晩中』(※1)だ。
この作品はやはりある街の一夜を描き出すもので、そこで過ごす様々な人々を散文的に見せていく。彼らはたまに繋がりがあるようで、誰かと過ごしながらもやはりどこまでも孤独、誰も気づくことのない群像劇、とでもいうような色合いを持つ映画だ。

今作では、主人公が人々を訪ねるようにして細い糸を通していく。『一晩中』が交響楽なら今作は協奏曲的といえるかもしれず、ちょっとお節介気味なところもある主人公はどこかファニーな雰囲気も持っているのだけれど、群像はやはり繋がりきることはないし、彼女はGet Lostし切ることはできなくて、朝にはまた帰るしかない。
そばだつ音の使い方も共通する要素で、更けるにつれ濃度が薄れていく大気ならではの細かく尖った物音の響きが、夜の果てしなさを思わせる。アコースティックギターを中心にした劇伴も清らかで切なく、弦をキュッと擦る音が主人公の胸中の揺れを想像させるようだ。

そんな「ドライでリアル」な質感を感じつつも、それ故に後半に幾つかだけ用意されたささやかな《逸脱》が際立つ。
上に書いたような精霊の視点が、現実を離れて主人公にちょっとした便りを届ける。幻視なのか現実なのか、主人公はそれを視て何を思ったのか、定かではないけれど、夜を歩き抜いたご褒美のような魔法を発見した気にさせてくれることは確かだった。

劇場で観るなら、ぜひ遅めの回が良いだろう。外の風景が少し違って見えるはずだ。点描に滲んだ街灯が、交信している声が聴こえる。slow,fast,slow,fast。

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※1:https://filmarks.com/movies/69643/reviews/153012113