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テルマ&ルイーズ 4Kのnanaのネタバレレビュー・内容・結末

テルマ&ルイーズ 4K(1991年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

今回は内容を知ったうえで観ているので、最初からもう若干涙で画面がぼやける。

学生の頃だったか、初めて今作を観たときは「なんでこんな悲しい話作ったんだろ」と思っていましたが、映画をいろいろ観た今改めて観ると、これは女性版のアメリカン・ニューシネマがやりたかったんだなと腑に落ちました。
開始早々、アメリカの広大な大地の映像とともに流れるのはハンス・ジマーが手掛ける西部劇風の音楽。
どこか「男の物語」とされてきたニューシネマ、西部劇を女性二人の物語として今作は描きたかったのではないでしょうか。
これを男性であるリドリー・スコットが、しかも90年代に発表したことの意義は計り知れないです。
高畑勲が『かぐや姫の物語』を作ったことに通じるものがあります。

決して記号的ではない、多面性を見せるテルマとルイーズのキャラクター。
今作が画期的なことのひとつに、性暴力を受け結果的に破滅への道を進むことになったキャラクターが、同じ作品内で性に積極的になりセックスを楽しむところが描かれるところです。
いまだに性暴力の被害者が少しでも笑顔を見せたり肌見せをしていると「おかしい」と言う人がいる中、単に被害者化しないキャラクター造形は素晴らしいと思うのです。

男性キャラクターの描き方も多層的で、ハーヴェイ・カイテル演じる刑事の存在の大きさ。
ブラピはあれでもまだ劇中に出てくる最低男ランキングではそこまで上位でないのが笑える。

現代なら、彼女たちはもっと走り続けられるだろうか。
何よりもう、あのような事件が起きる世界にはなってほしくない。

序盤ではメイクとお洒落ばっちりの二人がだんだんすっぴんに近くなり、服装もシンプルになっていきます。
これについて「取り繕っていた女性がどんどんありのままの姿になっていく」みたいな評もできますが、メイクや着飾ること=素じゃないというのはちょっと前時代的な気が(メイクが旦那に強要されてたとかならともかく)。
リドリーがどこまで意識してこの演出をしたかは分かりませんが、もし今テルマ&ルイーズが作られたら、きっと二人はラストまでずっとお洒落でメイクばっちりなんじゃないかな。
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