サマセット7

シャイニングのサマセット7のレビュー・感想・評価

シャイニング(1980年製作の映画)
4.4
監督は「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」のスタンリー・キューブリック。
主演は「チャイナタウン」「カッコーの巣の上で」のジャック・ニコルソン。

[あらすじ]
ロッキー山中にある豪華ホテル「オーバールックホテル」にて、冬の間雪に閉ざされるホテルの管理のため、売れない作家ジャック・トランス(ニコルソン)とその妻ウェンディ(シェリー・デュヴァル)、息子ダニー(ダニー・ロイド)が3人で一冬を過ごすことになる。
ホテルでは過去、管理人が冬に妻と2人の娘を惨殺した事件が起こっていた。
不思議な力「シャイニング」をもつダニーは、ホテルで女児の双子を見かけ、廊下を埋め尽くす血の海を予見する。
時が経ち、ホテルが雪に閉ざされる内、徐々にジャックは精神の平衡を失っていき…。

[情報]
映画史上最高の巨匠と称されるスタンリー・キューブリック監督が、モダンホラー小説の帝王と称されるスティーヴン・キングのベストセラーホラー小説を原作に製作した、1980年公開のホラー映画。

原作小説は、呪われたホテルに潜む邪悪なモノにより、夫婦と息子が危機に陥り、父親がホテルに取り込まれる一方で、息子がその超能力で危機に立ち向かう、という筋立て。
いわゆる古典的な幽霊屋敷ものに、キング流の親子のドラマと悪しきモノとの対決の要素を組み入れた、堂々たる傑作小説である。

現実主義者で知られる巨匠キューブリックは、原作の心霊現象を核とする恐怖表現を、「心霊(死後の世界)の存在を前提とするなど、あまりにも楽天的」と切り捨て、狂気に陥る父親にフォーカスを当てて、全く異なるホラー映画に仕上げて見せた。

今作に対する原作者キングの嫌悪と激烈な批判は有名である。
彼の「エンジンの乗っていないキャデラック」という今作に対する批判はよく知られている。
その理由については諸説あるようだが、映画評論家の町山智浩は、キングの幼年期に父親が失踪した体験と、キング自身が創作に行き詰まり、子に暴力を振いそうになった実体験が原作小説のベースとなっており、ジャックとダニーは作者の写し身であること、それ故に、キングは、父親ジャックを狂人として描き、親子間に和解の余地を排除した今作を許せなかった、と分析している。

いずれにせよ、キューブリックは、その徹底的な完璧主義と、カメラマン出身者ならではの精緻な画面構成の腕を振るい、今作を、映画史上最も完成度の高いホラー映画にしてみせた。

撮影に当たっては恐るべきテイク数が重ねられ、有名なジャック・ニコルソンの顔が割れたドア越しに覗くシーンは、190以上(!!)のテイクが重ねられたという。正気の沙汰ではない。

今作では開発されたばかりのステディカムを導入して、ジョン・オルコットのもとで、特徴的なカメラ使いがされている。
5歳のダニーの三輪車を後ろから同じ高度で追いかける特徴的な撮影はその典型で、映像のみで寄るべない不安を表現している。
その他、冒頭の空撮、頻出する絵画的な奥行きのある映像など、優れた撮影のオンパレードである。

今作には、たびたび心霊現象(あるいは幻覚)が登場するが、特殊撮影はほぼ用いられていない。
映像としては俳優が立っているだけなのだが、その効果音、色彩感覚あふれる美術、編集の妙によって、見事に恐怖を演出している。

バルトークなどを用いた音響の素晴らしさは今作の肝であり、前半の不気味な雰囲気は、ほぼ音楽や効果音の利用によってもたらされている。

今作のホテルは、ほとんどがセットであるが、計算し尽くされた配置がされており、小物、照明も例外ではない。

今作は1200万ドルの製作費で作られて、9400万ドルを超える興収を上げて商業的成功を収めた。
公開当時の批評は賛否が分かれたが、今では史上最高のホラー映画の古典として扱われており、後の映画に与えた影響は甚大である。
今作をオマージュした映画は数多く、ホラージャンルを超えて、80年代を代表する作品と評されている。
また、映画史上最も怖い映画、と評されることも多く、怖い映画ランキングなどでは、しばしば上位に選出されている(この評価には常に賛否がある)。

[見どころ]
映像の美しさ、恐怖演出の見事さ、俳優陣の演技など、全てが見どころの、映画ファンなら取り敢えず観ろ系作品。
あえて挙げるなら、俳優陣の演技が神がかっている。
ジャック・ニコルソンの狂気!!!!
シェリー・デュヴァルの恐怖!!!!!
ダニー・ロイドが可愛い!!!!!!!!

[感想]
久々に再視聴。
いやあ、子役のダニー・ロイド、マジ可愛い。

今作は、個人的には、怖さは然程でもない。
もともと洋画ホラー全般が、日本をはじめアジアのホラーに比べてあまり怖く感じないのだが、特に今作は、芸術性と名演が先に出ていて、怖い!というより、凄い!!という感想になる。

今作の位置付け自体、よく考えるとかなり特殊な作品である。
フーパー、ライミ、ロメロ、アルジェント、カーペンター、クレイヴンなどのホラー好きの文脈とは、明らかに異なる。
「2001年宇宙の旅」「博士の異常な愛情」「時計じかけのオレンジ」のキューブリックが、ホラー映画を撮ったら、どんな作品になっちゃうの???という、相当に実験的な作品ではなかったかと思う。

やはり、というか何というか、今作はホラー映画というには余りにも芸術的な作品になった。
しかし、今作をプロトタイプとして、後の諸作品に影響を与えまくった結果、今では、今作こそがホラー映画の王道になってしまった。

原作者のキングは今作を激しく批判したが、キューブリックに撮らせた時点で、キングの希望は最初から詰んでいるように思う。
現実を見つめる視線が、180度違うのだから。

再鑑賞時の感想は概ね以下の感じか。
・効果音、凄い!
・シンメトリーの絵作り、やばい!
・ダニー・ロイド、可愛い!!
・幽霊描写はクッキリ見せるな。
・ニコルソン、最初から怖そう。
・シェリー・デュヴァルの顔、何だかこちらまで不安になる。
・タメ、長ーーーーーーーーーーーーい!!
・ニコルソンの演技、やっぱり凄い!!!
・終盤の展開、原作と全然違うな。
・終盤の盛り上がり感、やばい!

やはり、今作の最大の魅力は、役者の演技だろう。
ニコルソンとデュヴァルの演技は、殺人鬼と犠牲者の演技の模範例のように見える。
2人とも、顔面の力、特に眼球の動きが凄い。
デュヴァルに関しては、恐怖を演出するため、キューブリックがいじめまくった、と聞くが、なるほど、他作と比べて、その恐怖に怯えた表情や手足の動きのリアリティは、抜きん出ている。
ニコルソンの怪演は、今作の原作無視っぷりを、補って余りある、と思う。

今作のタイトル、「シャイニング」は、5歳の息子ダニーの超能力の呼称であり、原作では呪われたホテルに対抗する唯一の手段である。
しかし、この能力、映画の脚本では、ほとんど活かされていない。
その結果、この設定を入れる意味は、(ないこともないのだが)原作と比べるとかなりの部分失われている。

だが、ダニー・ロイドの愛くるしさからして、超能力で怪異と対抗させるよりも、狂気に駆られたジャック・ニコルソンから逃げ惑わせた方が、はるかにリーダビリティがあるのもたしかだろう。
観客は、ダニー・ロイドの可愛さに惹き込まれ、彼の無事を祈り、彼の逃走の応援に没頭することになる。
ここで超能力バトルを差し挟むのは、はっきりノイズだ。
こと映画という表現形式においては、キューブリックの計算が正しいように思う。

ラストシーンをどう解釈するか考えるのは面白い。
原作者の心情を思うと、やや複雑である。

[テーマ考]
今作の原作小説のテーマは、閉ざされた世界における怪異の恐怖、特に邪悪なものの影響下に愛するものを傷つけてしまう恐怖、そして父と子の絆にある、と読める。

他方、映画である今作のテーマは、閉鎖環境における狂気そのもの、その結果としてのコミュニケーションの不全がもたらす恐怖にあるように思われる。
狂気に陥ったニコルソンと、デュヴァルの会話の通じなさ!!
そこにこそ、今作の恐怖の真髄がある。
今作で最も怖いシーンは、デュヴァルがニコルソンの原稿を読むシーンなのだ。

キューブリックは、意図的に、心霊現象と思われるシーンを、いずれもキャラクターの幻覚、妄想とも解釈できるように構成している。
フォーカスされているのは、常にジャックの心理状態である。
他方、ジャックとダニーやウェンディの絆には、ほとんど関心が払われていない。

ジャックが戸を破って顔を覗かせる、映画史上最も有名なカットの一つは、カメラマン出身のキューブリックらしく、今作のテーマをワンカットに映し出している。
それまでの余りにも長い助走は、このワンカットの狂気のため、と言ってもよいだろう。
そして、このワンカットこそが、今作を映画史上に残る名作にした。

恐怖の根源を、人ならぬモノ(霊)とせず、人間の内面的狂気と、その結果としてのコミュニケーション不全に位置付けたのは、キューブリックの現実感覚の現れと読める。
彼にとって、幽霊の存在など信じるに値せず、そうであれば恐怖の対象にもなり得ない。
彼にとって、怖いのは常に人間の内面の闇、あるいはその結果起こされる、コミュニケーション不全という現象なのだ。

[まとめ]
ベストセラー小説を原作とした、映画史上最高の巨匠による、ホラー映画の古典的名作。

スティーヴン・キングは、今作が嫌い過ぎて、自ら脚本を書いて、1997年にテレビ映画を監修、公開した。
2013年には続編小説「ドクター・スリープ」を上梓。今作で5歳だったダニーが大人となって主役を務める。
2019年公開の同小説の映画版は、小説のみならず、今作(1980年の映画)の続編としての要素も含むものとなった、とされる。
こちらも是非、見てみたい。