東京は渋谷のユーロスペースで開催中の新潟国際アニメーション映画祭特集で観ました。
とりあえずの感想としては面白かった。なんつうか一言で言えば思春期のオフビートなだらだら青春映画としては直球な感じで物語自体はそこまで捻りもないんだけど、そこにぬぼーっとした緩い絵柄が変化球として効いていてそれらの相乗効果で面白かったですなぁ。同じくアニメ映画でいうなら俺が思い出したのは4~5年前の国産インディーズアニメで『音楽』というタイトルの映画なのだが、あれも日本の高校生のだらだらした日常を緩い絵柄で描き出した名作アニメであった。ただ『音楽』の方はそのタイトルからも分かるようにお話の核に音楽という要素があったのだが本作『アダムが変わるとき』に関してはあまり大上段に構えたようなテーマやモチーフもなくて本当に日常だけが描かれるのだが、それはそれとして非常にユニークな特徴がある映画ではあった。
お話は本当にどうということもなく、多分アメリカの郊外的な田舎町に住んでいる高校生くらいのアダム君が主人公なのだが、彼は内気でいわゆるオタク少年という感じなので学校ではいじめを受けたりもしている。でも不登校になったりいじめ相手に復讐を誓ったりするほどまでには深刻な状態というわけではなくて、アダム君には同じオタク友達っぽい奴もいるのでまぁ根暗な青春としてはそこら辺に履いて捨てるほどありそうな感じなのであった。そんな中、夏休みを迎えたアダム君は初恋(多分)を経験するのだがその初恋の相手というのが自分をいじめてくる嫌な奴のガールフレンドなのであった。さてどうなるアダム君、というお話ですね。
これだけだと本当に何の変哲もない高校生活のお話しって感じだが、上記した非常にユニークな特徴というのがですね、主人公のアダム君は自分の感情に合わせて身体を変化させてしまうというものがあるんですね。例えば「この胴長野郎!」と怒鳴られたら本当に胴が伸びちゃうの。何だよそれ!? と思われるだろうが、実際そうなのだから仕方ない。ただ、アダム君の身体がその時々で変化しても誰もそのことに言及しないのでアダム君の身体の変化はあくまでも心情の変化を視覚的に表しているだけで実際に肉体が変形しているということではないのかもしれない。ま、繊細な思春期の少年の心情を表すための表現というのが妥当な見方であろう。
でもそこが面白い映画でしたね。日本のアニメと違ってキャラクターも背景も書き込みは圧倒的に少なく余白のある画面になっていて、絵柄自体も緩いものだからアダム君の身体の変化も心情を表してるだけなんだろなと思いつつ、本当に変化していてもそれが許容されている世界のようにも思えてくるんですよね。主人公の周囲にいる家族や親友たちの懐の広さも相まって、モテないいじめられっ子のオタク野郎のアダム君もそう悪い青春を送っているわけでもないな、という感じがしてくるんですよ。観客にそう思わせるように作っているこの映画自体が何だか優しいなぁ、という感じがして凄くいいなと思いましたね。
ま、劇中でドラマチックなこととかはほとんど起こらないんだけど、その緩さがちょうどいい映画でした。変人が変人のまま生きている描写も沢山あってよかったですね。こうれは好きな人は好きだろうなぁ。しかしタイトルにあるように何も変わらない日常が描かれるだけでなく、ハッキリとした変化も描かれる場面があって、そこの特にドラマチックではないんだけど、だからこそおぉ~~、となる感じも良かったですね。アダム君が変容するのは身体だけでなくその内面もそうであるし、彼がどのように変わったのか、ということは全然大げさには描かれないけど重要なことであり、その瞬間を緩くありつつも印象的に描いた本作は観客に対してもそれなりの変化を残すのではないかと思いますね。ま、劇的ではなくそれなり、ではあるのだが…。
でもそこがいいよな。ラストの玄関の前のステップで座ってるアダム君たちの姿とか、凄く劇的ってわけではないけど何だかじーん…とくるんだよな。面白い映画でしたね。現時点で配給が付いてないどころか昨日(2024年12月3日)まではフィルマークスにも登録されていなかったのだが、今後もうちょい鑑賞できる機会が増えればいいなと思いました。緩々オフビート青春ものが好きな人にはおすすめです。
わーい! フィルマークスで感想一番乗り初めてだーー!!