ヨーク

ドリーム・シナリオのヨークのレビュー・感想・評価

ドリーム・シナリオ(2023年製作の映画)
3.9
本作『ドリーム・シナリオ』は事前に何度も劇場で予告編を見ていたのだが、みんなの夢にニコラス・ケイジが出てくるとかいう突飛な設定のせいでどうせ予告編が一番面白い出オチパターンの映画だろ! と思っていたのだが、いや普通に面白い映画だったわ。予告編なんかは今この感想文を書いているときに見ても、やっぱ出オチ感すごいなぁ…とか思っちゃうんだがやっぱ映画は実際に観てみないと分かりませんね。
お話は何か大学教授をしていて妻と二人の娘に囲まれお金にも困ってなさそうなので割と順風満帆な人生を送ってるんだろうとは思われるものの、その実は自分の研究分野では上手くってなかったり妻はともかく娘二人とはちょっと距離があったり生徒たちからもあんまり尊敬されてなさそうな感じがあったりと、パッと見の印象とは逆に色々と人生に不満を抱えている中年のニコラス・ケイジが主人公である。そのニコラス・ケイジが上でも書いたように特に理由は分からないのだが、ある日突然不特定多数の人間の夢の中に現れるようになり、あれやあれやという間にSNS上はニコケイ(役名忘れた)の話題一色になりみんな「俺の夢にもニコケイ出たよ!」の大合唱。一躍時の人となってしまった彼の元にはメディアの取材なんかもやってきて、これは娘からの尊敬を得られて生徒たちからの人気も出て長年の研究も認められて、挙句の果てには若い愛人までできちゃうのでは? と調子に乗りまくるのだが、果たしてそんなに上手くいくのであろうか…というお話です。
若干のネタバレにはなるかもしれないが、あらすじの時点で順風満帆になってしまうということはまぁ、そのまま最後まで突っ走っていけるのかというとそうでもなくて手痛いしっぺ返しが来るのだが、これは観りゃ分かることではあるのだがそのニコケイの浮き沈みっていうは本作の核として
SNS上でのバズり文化というものをテーマにしてるわけですね。実際の作中でのニコケイ人気もSNSで例の夢の件が共有されたことがきっかけだし、感情論で一時持て囃されたものが手の平返すようにクソミソのボロクソに扱われるようになるのもネット上での炎上事例のようである。
そう、ややネタバレとは書いたが予告編にもそういう示唆はあったので書いてしまうとニコケイは途中から人気が失墜して世紀の嫌われ者となるのである。しかもその理由が酷い。最初はみんなの夢の中に出てきただけのニコケイだったが、ある時期を境にニコケイが夢の主を殺すようになりみんなが悪夢にうなされるようになるというのだ。念のために書いておくが、ニコケイが人を殺すのは夢の中でのことである。だがその悪夢を見た者たちは今までは「私の夢にも出てきた!」とアホみたいにキャッキャ騒いでいたのが嘘みたいにニコケイを憎悪するようになるのだ。再三繰り返すが、ニコケイが人を殺すのは夢の中だけで、実際のニコケイは多少面倒くさそう(大学の教授とかにいそうな感じで)な部分はあるものの善良な一般市民である。
でも夢の中のイメージだけで現実の彼の生活はボロボロにされていってしまうわけだ。これはまぁSNSでの炎上事案なんかを暗に示しているのは一目瞭然であろう。SNSを日常的に使う人なら、明確に法に反しているわけでもないのに感情論と数の暴力でもって炎上対象に総攻撃をかけて反論も許さない(というかそもそも何かを論じる気などない)という風に追い詰めていく光景を一度や二度は見たことがあるのではないだろうか。本作でのニコケイも正にそのように追い詰められていってしまうので本作は、あぁSNSにどっぷり浸かってしまうのは怖いなぁ…という教訓が含まれたお話しとして受け取ることができるのだが、本作が最高に面白かったのはニコケイが追い詰められていく様自体はとてもブラックユーモアたっぷりで楽しく観られたということだと思うんですよね。
どういうことかというとですね、笑っちゃうんだよ。本人は何も悪くないのに不幸のドン底に落ちていくニコケイを観ながら笑っちゃうんです。そこがこの映画のよく出来ているところであり怖いところでもあると思ったな。本作の核のテーマがSNS上での炎上云々と書いたが、実は本作で不幸になっていくニコケイをゲラゲラ笑いながら観てしまうっていうのはSNSとか関係なく、人の不幸は蜜の味と言われるように非常に普遍的な“人間は他人の不幸が大好き”っていう事実を表していて、一歩引いてみると、いやーこの映画観ながら笑ってる俺って酷い人間だなー、と自覚させてくれるのである。
誰にだって他人の悪口で盛り上がったことくらいはあるだろうし、嫌いな奴が失敗したら内心でシメシメ…と思ったこともあるだろう。それと同じように会ったことがないような人間が相手でも、そうだなぁ…まだXがTwitterと呼ばれていて匿名掲示板とかでは「バカ発見器」という蔑称で呼ばれていた時代、コンビニのバイトがアイスクリームの冷凍庫に入った画像が大炎上したのを外から眺めて(こいつアホだな)と思いながらある種の娯楽として消費したことがある人は多いのではないだろうか。まだ1~2年前の例を挙げるならバカなガキが回転寿司屋の醤油さしをペロペロ舐めたという死ぬほどどうでもいいことでSNS上では上を下への大騒ぎとなったのであるが、正直あんなもんはきっとみんな心の底ではどうでもよくて、単に自分と無関係なバカが炎上する様を見世物でも見るように楽しんでいただけではないのかという気がする。ちなみに俺個人で言うと、頭の悪いバイトがアイスの冷凍庫に入ろうがバカなガキが醤油さしをペロペロしようが本当に心の底からどうでもいいですよ。でもそういうことした奴がいるっていうニュースをある種の娯楽として消費してしまうことはあるかもしれない。自分とは無関係の人間が世間から叩かれてる様を見て笑っちゃうことはあるかもしれない。無論、バイト先の冷凍庫に面白半分で入ったり醤油さしをペロペロするのはそこそこの実害はあるので本作でのニコラス・ケイジほどかわいそうではないが、でも理由はどうあれ自分とは無関係な人間がある種のリンチを受けている姿を見てほくそ笑む人間の黒い性というのはあると思うんですよね。そのドライな悪趣味さが本作の根幹にはあったと思うし、その悪趣味さが俺は非常に好きでしたね。
要は『ドリーム・シナリオ』という映画は自分が物語の登場人物やSNSの向こう側にいる人間に対してどこまでも酷薄になれるということを突き付けられる映画なんだと思います。ま、いうても物語の登場人物は架空の存在なので別にどんな理不尽な目に遭っても笑ってもいいかなというところはあるのだが、でもSNSの向こう側には基本的には生身の人間がいるんだからどれだけバカなことをした奴でもちゃんと人を見る目で見ないとダメだよなって省みる映画でしたよ。
いやほんと、おれはニコケイが理不尽な目に遭うたびに笑ってたけど中でも酷かったのはラストでニコケイは今度こそ自分の意志で殺しに行くんだな! と思っちゃってたからな。ニコケイはあんなにロマンチストだったのにさ。そんな人間の心根の暖かさよりも刺激的な面白さを期待してしまう自分を鏡面に観ることができていい映画でしたよ。
ネット上でもそうでなくても、いつ自分が理不尽な目に遭うかは分からないので、そういう意味では対岸の火事を笑ってる奴らはサイテーですねっていう映画とも言えるだろう。面白かったです。
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