ヨーク

自由の暴力 デジタルリマスター版のヨークのレビュー・感想・評価

4.3
詳しくは感想文の方を読んでいただきたいが、先日観た『エフィ・ブリースト』はIQ高めで感情よりも理詰めの作品だと思ったものだが、本作『自由の暴力』はもういつものファスビンター増し増しで上流階級とかじゃなくてド底辺のどうしようもない奴らが情感たっぷりに感情むき出しに繰り広げるドラマという、そうそうこれだよ! って感じの映画でした。いやー、面白かったわ。個人的には『エフィ・ブリースト』もかなり好きな映画だったが、やっぱファスビンダー観たな! 感が強いのはこの『自由の暴力』だったかなと思う。
ちなみに本作の邦題は長らく『自由の代償』となっていたのだが今回のファスビンダー特集に当たって『自由の暴力』と改題されたらしい。俺が観た回は字幕を担当した渋谷哲也センセのトークショー付きの回で、タイトル変更のことに関しても話を聞けたのだが、曰く「『自由の代償』も良い邦題だと思うが、本作を観れば分かるようにあらゆるフェーズで形を変えて暴力が描かれている映画だし、原題である『Faustrecht der Freiheit』は拳、つまり暴力によって担保される自由というニュアンスがあるのでタイトルに暴力というワードを入れたかった」とのことであった。ま、確かにそう言われたらそうだよな、となるように非常に重層的な暴力の中で翻弄される主人公の物語だったので改題した『自由の暴力』で良かったのかもなという気にはなった。
さて、そのお話だがストーリー自体はファスビンダー作品で毎回書いているようにそんなに大したものではない。サーカスで働いていた学のない同性愛者の芸人がたまたま宝くじで高額な賞金をゲットして、いわゆるおハイソな上流階級の人間と知り合いその内の一人(彼も同性愛者)と付き合うことになるのだが、彼は傾きかけた出版社の跡取り息子で宝くじをゲットした主人公はその金を恋人のために貢いでいくのだが…というお話ですね。
ま、この手のストーリーでは定番だが主人公が金に困ってる新恋人に対して(俺が助けてあげなきゃ…!)ってなって相手も最初はそれをありがたく受け入れるんだけど、如何せん唯一の家族がアル中の姉しかいないようなド底辺出身の学もセンスもない男が、貴族階級とまではいかないまでも資本家として会社を経営していて余暇はオペラやクラシック音楽のコンサートに行くような奴と恋人関係になるわけだから、付き合いが長くなればなるほどに(なんか住んでる世界が違うな…)となるわけですよ。直前に観た『エフィ・ブリースト』ではいうても上流階級同士であったにもかかわらず、本作では正真正銘のド底辺と小金持ちではあるが成り上がりてきな人間のドラマとして物語が展開されるわけです。それを露悪的であり風刺的でもあるタッチで、純粋さやそれ故の愚かさも含めた感情をメインとした怒涛の会話劇で繰り広げるので、うおぉーー! これは高濃度のファスビンダーだぜぇ! となるわけですよ。『エフィ・ブリースト』ではキャラクターの心情やおそらく原作小説の地の文であろうと思われる部分はナレーション的に多く語られたが、本作では実際に口から発せられる言葉としてのセリフが多くてファスビンダー感増し増しでしたね。
しかしそのようにやってることは相変わらずのメロドラマなのだが、そのようなメロドラマ的文法として感情的に物語が進むのに、その一方では物語全体をすごくドライな俯瞰図としてお見せしてくるというのがファスビンターのもっとも凄いところであろうと思う。ファスビンダーという人は主に主人公のフランツの、主観的な感情として描かれる彼の心情の機微を感情的に瑞々しく描きながらも、それをどこか突き放したように見える演出でもって描き出すんですよね。主に描かれるのは主人公(主人公だから当然だが…)の感情なのだが、周囲の人間たちに対しても基本的には同じようにその生々しくも愚かしい様子をこれでもかと抉り出していくのである。その辺の人間が持つ矮小さや情けなさの描写っていうのは容赦なくて笑いながらも(怖いな~)と思っちゃう鋭さで面白かったですねぇ。
例えば度々挿入されるフランツのど滑り一発ギャグなんて、笑いと悲しみが押し寄せてきてどうすんだよコレ感がすごかった。よくアレで芸人やってたな…と思っちゃうもん。空回りしてる人間を客観的に見たときのいたたまれなさとは、ある程度の年齢以上の人ならかつての才能が溢れていた頃の松本人志のコントに出てくるどうしようもないおっさん像に近い、と言えば何となく分かってもらえるかもしれない。もちろん、映画の登場人物としての描き方はファスビンダーの方が松本の数十倍か下手したら数百倍は上手いわけだが…。
あとはそうですなぁ、タイトルの意味にもかかってくることだが上記したように本作は非常に重層的な暴力の構造も描いていて、例えばパッと見は主人公が新恋人の経営する経営難の出版社に搾取されていく様が描かれるんだが、本作は1974年の映画であり、その時代性を鑑みれば新恋人の親父で出版社の現社長とかは恐らく戦前からある程度の富裕層で、そのプチブル的な生活っていうのはきっとナチスの恩恵を受けていたのではないだろうかと思われるところがあるんですね。これは例えば『君たちはどう生きるか』で主人公の親父が軍需産業の一端を担うことで財を成していて、それが宮崎駿自身を投影した主人公の少年にとっての心理的背景を醸造していることに近いと思う。要は物語の本筋にはあんまり関係なけどバックグラウンドとしてある設定で、本作はそういうのも含めてあらゆる関係性の中に潜む暴力というのが描かれていて、これがまたグッとくるんですよね。登場人物の誰もが意図するしないに関わらずに何らかの暴力を行使してしまっているというのがなんともファスビンダーらしいドライな目線で良かったですねぇ。
ネタバレなので伏せておくが、結末も踏まえれば暴力以外に他人と関われる手段などないではないか、と言わんばかりの冷酷な皮肉を感じる終盤の展開はあぁ~~、となりながらも観応えがあり、面白くもありました。基本的には辛いお話なんだけど、笑えるし、破滅しかないなと確信しながら観るラストもその破局を理解しているが故に妙に心地よさも感じてしまうのが何とも言えないファスビンダーの凄さだと思う。実に面白かったです。
ちなみに字幕の渋谷センセのトークショーでは「来年もファスビンター特集は企画してるらしいので座して待て」とのことでした。俺は今回『リリー・マルレーン』を観逃がしてしまったので次回も是非やってほしいなぁ。楽しみにしときます。
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