事前知識皆無で観たため、こんなリチャード・ギアのホラーテイストの映画があったのか程度で興味本位で視聴。
新聞記者の男が妻が事故を起こす、直前に何かを観たといい残し、謎の絵と言葉を残したまま亡くなってしまう。
2年後、記者の男は車を走らせていると普通なら6時間はかかる距離をたった1時間で見知らぬ街にたどり着いていた。
なぜこの街にいるのか?
なぜこの街に初めて来たのに自分を見たという人間がいる…街に不可思議なことが起きている、いったいなにが起きたのか…。
真相を探るうちに男は計り知れないモノに気付き始める…。
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ここからネタバレ
途中からあれ?これモスマンの話か?ってなり逆にワクワク。ノンフィクション的なこと冒頭で言ってたが、それにしてはなかなか雰囲気がいいなと楽しんで見れました。
モスマンとは…
メリケンの中では都市伝説と化しているモスマン(蛾男)、フクロウ、昆虫、人間を掛け合わせたようなUMAだと言われている。
予言をもたらし、災厄を知らせ、羽ばたかずに飛行し車よりも早く、人を混乱させ死も招くとされている…。
ただこの映画ではただのUMAではなく、リークというモスマンを証明しようとした男のセリフで一気に定義が変わる。
「あれは神か?」
「窓拭きの男は我々が見えない10ブロック先の事故が見えるだろう、あの男は神か?見ている位置が違うだけだ」
「…なぜ人間より高等な存在なら対話をしない?」
「お前はゴキブリに自分の存在を教えるのか?」
素晴らしい問答です。
これにより、モスマンはクトゥルフ神話の様相を成しました。
クトゥルフ神話とは…
SF小説のコズミックホラーと言われる複数人の作家が作り上げた宇宙人を旧支配者として存在したという作品群のこと。
バードボックスなんかは最近目新しいクトゥルフ題材作品。
高尚な存在を見るだけで人間は気が狂ってしまい、知識を触れることすら危うい存在という概念で作り上げられています。
モスマンはその中でも下等な方で見るだけで即死はしないものの影響をもたらし、先を見せることがあるのという定義なのでしょう。
残念ながら高等な存在たちは意思をもって人と接しているのかすらわからないので、モスマンも結局はつま先アリが付いてて振り払ったら、たまたま食べ物の前にアリが落ちた程度の干渉だったのかもしれません。
証明か死か…予言に触れても正確には把握できない人間たちは狂っていると社会的に終わってしまうだけ、証明に固執すればいずれモスマンを見続け本当に狂ってしまうかもしれない。
ロマンのある話で私は好みでした。