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男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花のKKMXのレビュー・感想・評価

4.0
 リリー3部作のトリを飾る本作ですが、結構シビアな内容でした。リリーが沖縄で倒れて、寅ちゃんがリリーを看病するために沖縄に渡るというストーリー。

 リリーのために身体を張って沖縄に飛んだのは寅ちゃんの良さだと思いますが、その後がかなりクズでした。リリーそっちのけでブラブラ遊んだり、水族館の女の子にちょっかい出したりと、正直人間として信頼できない態度でした。
 リリーに対しても感情を爆発させたり、気持ちをまったく汲めなかったりと、寅はパートナーシップを組む相手としてはなかなか厳しいものがあります。経済観念も酷すぎるし、話し合いもできない。寅のダークサイドがしっかり描かれていて最高でした。
(…まぁ、15作目で寅は山田洋次によって成長のチャンスを妨害されたため、このような面が全開になったのかもしれぬ。成長があれば、もう少しリリーを思い遣れた可能性がありそう)

 リリーが寅と一緒にならなかったのは、本作を観ると正解としか言いようがないです。寅は成長しないので同じ過ちを繰り返すでしょうし、正直底辺DVカップルになるのがオチだと思います。
 今回、リリーの中で寅のことは好きだし大事な存在であることは間違いないものの、パートナーとしてはナシだな、という明確な一線を引いた瞬間が描かれていたように思いました。今回俺は完全アンチ寅の立場を支持しているので、リリーの決断には密かに拍手を送りました。リリーは本当に気高く、ヘタレの寅次郎には勿体無いと思います。


 というわけで、俺の中では寅への評価がガタ落ちになっておりますが、また新しい視点が生まれて、違う角度から寅さんを捉え直し始めています。


 物語の中において、寅さんは機能としてもピーターパンのポジションなのではないかと考えています(寅さんガチピーターパン仮説)。
 マドンナはおそらくウェンディ的ポジション(リリー除く)。大人になりたくない少女ウェンディはネバーランドでピーターパンやティンカーベルらと冒険し、最後は自宅に戻り大人になることを受け入れます。物語『ピーターパン』における真の主役はウェンディだと思います。ピーターパンはむしろ狂言回し的なポジションです。
 これはある意味ジュブナイル物の王道ストーリーです。先日、吉永小百合がマドンナを演じた作品をDVD鑑賞したのですが(感想文を書くほど面白くなかった)、そんな感じだったと思います。マドンナではないが15作目のパパも、はっきりしないながらもウェンディ的成長・変容を果たしているような印象を受けます。つまり、非リリー作品の多くは、寅さんを通じてのマドンナの成長や変容がぼんやりと描かれているものが多いのではないか、と推察しています。

 寅さんをリアル的側面から捉えると、永遠の少年で成長せず、恋の成就を避ける臆病者です。
 一方、象徴的側面から捉えると、問題に直面して行き詰まった人と関わり、結果的に彼ら彼女らの成長を促す異界の存在と言えるのではないでしょうか。
 我々観客も、四角い顔のピーターパンに誘われて、ちょっとした異界体験をして癒されたりしているのかなぁ、なんて想像してます。やはり寅さんはネバーランドの主なんだと思います。


 一方で、リリーは寅の成長を促してしまうワイルドカードのような存在です。従って、リリーの話は必然的に寅のリアル側面を浮かび上がらせます。なので、リリー3部作は名作ながらも実は異色作なのではないかと踏んでいます。

 大人にならないピーターパンは、我々浮世を生きるものからすると、軽やかで自由に見えるため、眩しいものがあります。遠くから眺めるため良いところだけ見えるのでしょう。しかし、ピーターパンを近くから見ると、大人になれない異形性・フリークスでビザールな気持ち悪さが見えてしまうのかもしれません。そういう意味でも、本作はなかなかコクがありました。


 脇役たちについて。シリーズもここまで深まると、御前様ことSOMは父性的な機能が消失し、単なる萌えキャラに昇華されました。最高としか言いようがないですね。15作目ではリリーと寅が腕組んで歩いているシーンを目撃し、合掌してました。そろそろディズニーランドでSOMのアトラクションができても良いのでは、と邪知しています。
 源公のポジションもなかなか味わい深いです。だいたいどの作品にも源公が夕方に鐘をつくシーンがあり、なんかじんわり来るんですよね。しかし、源公を演じる佐藤蛾次郎、すげー名前ですね。蛾次郎ですよ蛾次郎、名前に『蛾』がつくってすげえ。素の蛾次郎はダンディなイキフンを漂わせているとのこと(出典:wiki)。蛾次郎イカす🦑
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