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テルマ&ルイーズ 4KのKKMXのネタバレレビュー・内容・結末

テルマ&ルイーズ 4K(1991年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

 いや、これはさすがに傑作でしたね!シスターフッドの金字塔、元祖シスターフッドと呼ばれる本作は、むしろ現代に再評価されるのは当然でしょうね。
 シスターフッド映画は女性が連帯して男性の有害性にNOを突きつける作品を指すようで、必ずゴミ男が登場します。で、それらのゴミどもは、単体でゴミというよりも、男性優位社会という社会構造によって生み出されたゴミなので、まぁゴミどもも哀れなものですが、ゴミどもにも悲しみがあり、それが描かれるには『バービー』『あのこは貴族』といった21センチュリーシスターフッドまで待たねばなりません。
 で、本作はいかに社会構造が女性の尊厳を踏み躙っているかがガツンと描かれていました。自分は男性だからか、2人のバディ感よりも有害男性性&有害社会構造に目が行きました。


 ある日、ウェイトレスで自立したタイプのルイーズと、モラハラ夫に支配されて自主性がなく、自信もないテルマは2人で旅に出ます。テルマは支配されて縛られて生きてきたため、バーでハメをはずしたくなり、パーナンされて夢心地です。しかし、ナンパ野郎はレイプ魔で、テルマは性的被害を受けます。その場にルイーズ登場、ピストルを男に突きつけるが、なんとこの男、怯まずに女性たちを罵ります!ルイーズはキレでゴミを殺処分。しかし、法的にNGなので、残念ながら2人は逃避行するハメとなる…という話。


 この物語で印象に残ったのは2点。ひとつめは、男どもが女性の尊厳を傷つけて、逆に銃を突きつけられても決して謝らないところです。このパターン、2人出てきますね。そして前述のレイプ魔は銃殺されます。普通、命の危機があれば謝るでしょ!死ぬよ!実際死んだけど!頭おかしすぎない?意味わからなすぎますね、ホント。ぶっちゃけ、その場逃れの謝罪でも、命を守るには謝った方が賢いでしょ。というかそれが普通じゃん?しかし、彼らは謝らない。
 これはつまり、同じ男たちに「男らしくない」とナメられたら終わり、というホモソーシャル由来のマチズモを内面化させた結果でしょうね。つまり、女に謝罪みたいな男らしくない行為するくらいなら死んだほうがマシってことなんでしょ。それで実際死んでるから始末に負えません。あのレイプ魔、ホモソーシャル殉教ですよ!マチズモを守るために殉教!ホモソ殉教者!殉教者は聖人なので、とても讃えられます。酒場の女子に「くたばって当然、ザマァ」と追悼されてましたね。レイプ失敗、ホモソの誇りを守るために犬死にって、惨め哀れすぎるでしょ!
 この時代はただのゴミとして殺処分で終わりでしたが、21世紀だとちゃんと有害な男性性は男性自身も傷つけるという観点から、有害男性にも尊厳を与えられているので、マジで21センチュリーホモソガイたちはグレタ・ガーウィグに感謝すべきです。大乗仏教みたいなモンですからね。

 そしてもうひとつはもっと深刻。社会構造が女性の尊厳を蹂躙するメカニズムが克明に描かれていることです。そして、このリアリズムが本作を名作たらしめていると思いました。
 ルイーズが自首しなかった理由はここにあるわけです。かつてルイーズはテキサスで性被害に遭いました。しかし、罰せられたのは被害者であるルイーズだったようです。こんな体験してれば、自首するわけないですね。常に女性が不利になり、傷つけられる社会構造、これが本作に説得力を与えているように感じます。日本でも似たような感じですね。性被害に遭ったときに、根掘り葉掘り聞かれるとか、尊厳傷つくでしょ。だからあの時にルイーズが自首しても、絶対に正当防衛にはならないワケです。ハーヴィー・カイテル演じる彼女たちに同情的な警部なんて少数すぎて、たぶん力にはならないでしょう。

 こんな社会構造ならば、逃避行しないと自由になれない、その前提が悲しすぎで同時にリアルだと感じます。そして、その悲しみの中でもテルマとルイーズは誇り高く、尊厳を守る逃避行を続けます。時に有害男性を叩き潰したり、「私がこうなったのは夫が大事にしてくれなかったから」とタンカを切ったりとスカッとする場面はありつつも、彼女たちが男性社会の欲望に沿わない生き方、すなわち女性としての主体性を獲得しようとすればするほど社会的に追い詰められてしまうというプロットは、切なくやるせないです。
 なので、2人のバディを見てアガることはほとんど無かったです。謝らないゴミどもを駆除したり、トレーラー爆発させたりした場面くらいですかね、爽快だったのは。
 ラストも尊厳を蹂躙されるくらいならば死を選ぶ誇り高さは感じたものの、やはりやりきれないです。権利を勝ち取るための闘争ではなく、尊厳を守るための逃走で、そうせざるを得ない社会的構造が、どこまで行っても悲しみを生み出しているように感じます。逃亡の舞台となる荒野も、2人を取り巻く環境の非情さを比喩しているようにも感じ、美しく感じたものの、荒涼感が強く、言葉に詰まります。

 そして、やっぱり田舎の話なのが悲劇につながっていると思いました。舞台になっている南部の田舎なんてこんな感じなんでしょうね、おそらく今も。中絶禁止とか信じられないくらい後退してますし。地域の格差問題はデカいんだろうな、と当たり前のことを考えました。91年シアトルだったらルイーズもここまで追い詰められ無かったかもしれないです。もし逮捕されて正当防衛が認められなかったら、時代的にビキニ・キルやL7、パールジャムとかがルイーズ解放運動をするでしょうし(たぶん91年にルイーズ逮捕→93〜4年にルイーズ解放のムーブメントが起きるもカートの死でちょっと停滞、みたいな感じ)。
 本作観た直後は、90年代初頭だからこの息苦しさなのかも、と思いましたが、地域差なんじゃねえかな、と今は思ってます。同じようなクソ南部の田舎町であれば、現代でも権利獲得には向かわずに死が待っている、そんな印象です。


 登場当初はヨチヨチしていたテルマが後半どんどんパリッとしていくのは良かったです。ただ、テルマが覚醒したのは、ヤングブラピとセックスしてからに思えて、この部分は理解できつつ結構気になるポイントでした。
 テルマは、女性として愛ではなく性的に承認されることでめちゃくちゃ自信がついたんでしょうね。これは超わかりました。自分も男性として承認されることがなく、それがコンプレックスになっているので、テルマのガラリと変わる感じは正直羨ましかった。
 一方で、テルマの解放の原点が男性の支配からの解放というよりも男性からの承認だったように感じるので、フェミニズム的にアリなのか?
 また、細かく見ると『ブラピとセックス→高揚→ブラピがカネを持ち逃げ→自分のせいであるためかテルマ覚醒、気落ちしたルイーズを引っ張っていく』みたいな流れなので、女性として承認されたからではなく、ルイーズに頼らずに自分で切り開こうと思ったから、と読めなくもない。
 しかし、ブラピとのセックスが無く、持ち逃げでルイーズ絶望の流れだったら、テルマはどうしていただろうか。あれほどシャンとしてルイーズを引っ張っただろうか?この流れは引っかかっているというか、気になっております。個人的にはとてもリアルだと思うし、当然アリですが、近年のシスターフッド系では、この流れはあんまりなさそうだな?と。

 あと、気になったのは『幸せにしたかった』というジミーのセリフ。ルイーズの彼氏のジミーは本作では割とまともな人で、別れを切り出すルイーズに逃亡費を手渡したりします。そのときにパラグラフ冒頭のセリフが出てきますが、なんか傲慢だな、と思いましたね。幸せにされる方って借りができるじゃないですか。仲良くして相互に思い遣りあえれば勝手に幸せになるモンなんじゃない?ジミーに他意は無いでしょうが、この辺の古い価値観は単純に気持ち悪かったです。


 正直、2人がゴミどもを制裁する爽快感はありますが、彼女たちが尊厳を守り自由を手にした結果がアレかよ、という不条理さが強く、観ている間はほとんど胸糞悪かった。しかし、その胸糞悪さがリアルなので、やっぱり本作は名作だと思います。
 ちなみにゴミ制裁描写は90年代初頭だったからアリだけど、現代ならば有害男性性に毒された側の描写がなければ対立を煽るだけになるためNGだと思う(レイプ魔射殺は仕方ないと思うけど)。ブラピ演じるJDがああいう生き方をせざるを得ない内面を取り調べ時に吐露するとか、タンクローリーのオヤジが謝罪しないときに背景を匂わすとかは必要でしょうね、現代ならば。まぁあの感じはスカッとしますけどね。
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