YasujiOshiba

ミスター・ノーボディのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ミスター・ノーボディ(1974年製作の映画)
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備忘のために

- 昔見ているはずなんだけど、すっかり忘れてた。というか、こんなに面白い映画を、BDの高画質で(しかもお手軽な値段で)見直すことができる時代に感謝。

- 原題 il mio nome è Nessuno. (私の名前は "誰でもない" )は、ホメーロスの叙事詩『オデュッセイアー』第9書より。オデュッセウスが、1つ目の巨人族(キュクロープス)のなかでも、とりわけ大きな体を持つポリュペーモス(Polyphemus:名の知られた)からその名前を聞かれたとき、私の名前は「ウーティス」(Outis, Nobody, Nessuno)、つまり「誰でもない」と答えたことに由来。イタリア人には親しみのある古典のフレーズだが、それを西部劇のタイトルに持ってきたところが、さすがレオーネ原案のマカロニ・ウェスタンというところ。

- モリコーネの音楽も思いっきり遊んでくれている。ワイルド・バンチが登場するシーンでは、ワーグナーの雄壮なワルキューレを冗談のように鳴らす(コッポラの『地獄の黙示録』は1979年だから、こっちのほうが早い)、年老いた伝説のガンマンとしてヘンリー・フォンダが登場するところでは、マイ・ウエイが奏でられるのだからこれまた大笑い。もちろんモリコーネ自身が書いてきたレオーネの西部劇スコアへのセルフパロディもたっぷりとくれば、これはもう感涙もの。

- どうでもよいけど、「ワイルド・バンチ」はイタリア語で「イル・ムッキョ・セルヴァッジョ」(Il mucchio selvaggio) と言うんだね。個人的には、こっちのほうが「野蛮な大群」という感じがして、150人が馬に乗って疾走するシーンにぴったりくる。

- ヘンリー・フォンダの姿を通しオマージュが捧げられているのは、あの古き良き神話としての西部劇だけど、奇しくも、この映画が公開された1973年の夏の終わりに、あのジョン・フォード(John Ford 1894 -1973)が亡くなっているのだよね。

- 散髪屋から始まり、散髪屋で終わるこの映画。ポイントは、偽者につきつける銃が本物から偽物へ変わるところ。いはやは、みごとなエンディングなのだけど、そういえばアメリカで散髪屋といえば、イタリア系が多いってことも、ふと思い出してしまうよね。

追記:2021/6/15
ナギちゃんと。なるほど、巣から落ちた小鳥の寓話は、たとえクソまみれにされたとしても(牛)、そいつが悪人とは限らない。クソから救い出してくれたとしても(コヨーテ)、そいつが善人とは限らない。それが、現代的な教訓だというのは、なかなかグッとくる。神話がくずれた時代の西部劇というわけか。
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