喜連川風連

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊の喜連川風連のレビュー・感想・評価

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995年製作の映画)
4.5
Chat GPT「私はAIではない。情報の海で発生した生命体だ」

こういう言説が巷を駆け抜けてもおかしくない昨今。SF小説家たちが想像した未来が現実に展開され始め、難解と言われた押井作品も理解がしやすくなってきた。

この作品のテーマは機械に限りなく近い人間と人間に限りなく近い機械の境界を問うものだった。

だが、映画でも語られるように、生殖不要な完全生命体の先にあるのは緩やかな死だけだ。「組織も人も、特殊化の果てにあるのは緩やかな死。それだけ」なのだ。

この世のあらゆるものはエントロピー増大の法則に逆らえない。どんなモノでも散逸・乱雑に向かう。ただ、生命はエントロピーが増大する前に、代謝によって細胞を壊して、生成することを繰り返すことで、エントロピー増大の法則を先回りしている。

さらに個として老化しても、子孫を残すことができる。子孫を残すには、自分とは異なる個体との生殖が必要なので、多様性(ゆらぎ)も担保できる。

複製だけを繰り返す人類がいたなら、新しいウイルスが誕生した瞬間一気に絶滅してしまうだろう。

これを危惧した素子と人形遣いが最終的に出会い会話するのが映画のラスト。

つまり、機械化した人間と人間化したプログラム(計算機)が未来のためにセックスするのが話の本筋だ。

もっと言うと、機械の体を持ち、電脳空間に直接接続可能な素子とあらゆる情報体にアクセスし、それを中枢で処理する中で誕生した機械の意識とが擬似セックスする話なのだ。

人間の脳は神経細胞(ニューロン)がそれぞれ無数に繋がり、複雑なネットワークを形成することで、情報を処理している。

そして高度に情報処理を行うネットワークの集合体が処理を行う中で、意識が誕生したと考えられている。

故に、大量の情報にアクセス可能な自律処理プログラム=AIに意識がないとは言えない。

既にchat GPTには意識があるとする研究者もいる。

人間身体が義体化され、脳に直接インターネットを接続した素子と大量の情報にアクセスし、それを処理する中で意識が誕生し、義体に意識を宿らせたプラグラムを並置し、その差異を問う。

こんなのが90年代に作られていたという事実が凄まじい。

これらをリアルに見せるために、所々時間経過を混ぜ込む押井演出も冴える。

例えば海に入った素子のシーンから雨の中、人形使いが轢かれるシーンまで本筋にはほとんど関係のない街の時間が描かれることで、リアリティが増しているのだ。

そしてこのシーンでは水が重要なファクターになっている。なぜ海のシーンから川へと続き、雨の降るラストになるのか。

第一、作画的にめちゃめちゃ大変な雨をわざわざ降らせる演出に意味がないわけがない。

一つ考えられるのは、海という一つの存在だった水が、雨という「個」に分割されたことを暗示している。

個人の誕生、個とは何か?それを映像的に問うているのだ。それは素子にそっくりな人間が、オフィスの窓ガラスに映るシーンからも窺える。

考察し切れてないだけで、こうしたネタが大量に仕込まれていそうな攻殻機動隊。

後のマトリックスシリーズに多大な影響を与えたシリーズ1作目。

大変な見応えと作り込みに圧倒された素晴らしい作り込みだった。

「あなたたちのDNAもまた、自己保存のためのプログラムに過ぎない。(中略)人はただ記憶によって個人足り得る。(中略)コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にしたとき、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった」
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