シズヲ

荒野の女たちのシズヲのレビュー・感想・評価

荒野の女たち(1965年製作の映画)
3.8
ジョン・フォードの遺作。エルマー・バーンスタインのBGMと荒野を駆ける馬賊の姿で幕を開けるオープニング、そして荒野の中に築かれる“コミュニティ”。構図自体は西部劇の、それも“騎兵隊モノ”の変奏のような趣がある。そのうえで中国とモンゴルの国境地帯という舞台設定を選んでいることに特異性を感じられる。フィルム保存状態が悪いらしく、画質は確かにあんま良くなかった。

キリスト教圏の外側に築かれ、保守性によって支配されるキリスト教的コミュニティ。そんな集団の閉塞性を打ち破る存在として現れる非キリスト教的なアウトサイダー。その更に外側から現れて、コミュニティを暴力支配する山賊の男達。極限状態の中で“女性だけの集団”へと純化されるコミュニティ……。作中における“集団”の形態は二転三転していき、その軸足に“女性”が存在している。ジョン・フォード的な世界観を基準にしつつ、そこで描かれるのは目まぐるしい変化と一種の革新性。

やはり印象深いのはアン・バンクロフトの人物像。活動的で威勢の良い男性的造形(「男よりも」と言い切る気風の良さ)、もはやホークスの女性像めいてて実に清々しい。ふてぶてしく煙草を吸う姿のクールさ。そのうえで独りでいる場面にて描かれる心労や苦悩にこそ彼女の内面が感じられる。コミュニティの保守性を体現する所長、価値観においてコミュニティの内外の狭間に立つ少女、神経質な心労を背負う妊婦など、登場人物達の役割も立ち位置も興味深い。女優の存在感がいずれも良い。唯一の白人男性として描かれる牧師志望の教師は“父権を喪失した存在”として描かれ、そこから妻のために再起へと向かっていくのが印象的。

編集の潔さも実にジョン・フォード的で、コレラの解決や出産の下りなど要所要所でめちゃくちゃ大胆な場面転換が行われる。余計なシークエンスをバッサリ切り捨てるテンポ感。そんな中で前述した通りに“コミュニティの二転三転”が描かれ、しかもそこにジョン・ウェインのような無敵の主人公は介在しないため、フォードのそれまでの西部劇とは一線を画すような緊張感がある。女子供さえも容赦なく虐殺する馬賊の暴力性もその辺りに拍車を掛けている(やたら大笑いする奴らだ)。彼らも彼らでインディアンの変奏のような趣きがあるんだよな。

アン・バンクロフトが馬賊のリーダーの部屋へと入る瞬間のラストシーン、撮影の陰影がさりげなく醸し出す悲壮感。そこから余韻さえも与えず、有無を言わせぬ結末へと突入していく。「これどう終わらせるんだ……?」とソワソワさせられてからの呆気ない幕切れ、初見ではだいぶビビらされる。キリスト教的価値観を飛び越え、ひいては男性的暴力性へと反抗し、その果てに到達した臨界点めいてる。
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