リッキー

二十日鼠と人間のリッキーのレビュー・感想・評価

二十日鼠と人間(1992年製作の映画)
4.4
1017本目。190601
「あの犬は自分が撃てばよかった」

私の好きな俳優ゲイリー·シニーズが監督業もこなしていることを本作で初めて知り、大変興味深く鑑賞しましたが、予想以上にかなり練られた作品でした。
冒頭、いきなり主人公の2人が追われるシーンから始まります。逃げた理由はやがて明らかになるのですが、しばらく「?」の状態が続きます。
しかし、鑑賞後に改めてこのシーンを振り返ると、映像や会話に無駄がなく、とても計算されていたことがわかります。他にも雑音によって会話の声がかき消されるなど、想像力を掻き立てる演出には感動しました。

1930年代にカリフォルニアで農場を渡り歩く労働者のジョージ(ゲイリー·シニーズ)とレニー(ジョン·マルコヴィッチ)。とにかくこの2人の役者の演技に釘漬けとなります。
身体が大きくて力持ちですが知能が低く、トラブルに巻き込まれても自分で解決する術を持ちません。レニーにとってジョージは何でも話せる「友」であり、時には「兄」や「父」のようにレニーを守ってくれる存在です。
そんな2人の夢は自分たちの農場を持って、ウサギを飼育するというささやかなものです。
夢をかなえるために2人は新しい農場で働き始めますが…。

レニーのことはジョージの話から大体わかりますが、ジョージの過去については一切不明です。何故レニーと人生を歩もうとしているのか、美男子なので女性関連のエピソードがあってもよいかと思われますが、一切描かれていません。
このミステリアスなジョージのことをあれこれと考えるだけでも楽しめます。

本作では登場人物たちが抱える「弱者の孤独」が丁寧に描かれています。
農場の老人キャンディ、農園主の息子の妻カーリー、身体の障害をもった黒人のクルックスなど1930年代当時の高齢者問題、女性の社会的地位の低さ、人種あるいは身体的な差別等が描かれていました。このように弱い立場で孤独を抱えた人々の中で、眩しいまでに純粋に互いを思いやれる関係を築いていたジョージとレニーは彼らの希望だったのだと思います。

ジョージが最後に執った行動については、自分がジョージの立場であったらどうしただろうかと考え込んでしまいました。
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