Masato

レイジング・ブルのMasatoのレビュー・感想・評価

レイジング・ブル(1980年製作の映画)
3.7

ロッキーを光とするならば、レイジングブルは闇。

ロッキーとスターウォーズでアメリカンニューシネマが終わった後にこの映画は作られている。観客はこのような物語を求めていなかったため興収は失敗したが、クオリティは抜群に高い。

スコセッシ節が炸裂している。まずコンセプト。お得意の実在の人物の栄枯盛衰物語。グッドフェローズ、ウルフオブ〜、ニューヨークニューヨークなどと共通する。


監督の一貫したテーマはやはり「天才は人格と才能を両立することは難しい」ということなのだろうか。主人公のジェイク・モレッタはボクサーとして、ショーマンとしての才能はあったが、狂気とも取れる猜疑心の強さによって人生が崩壊してしまう。誰も信用せず、疑り深い性格のせいで信用されなくなってしまい、周りは離れていく。妻に対しては典型的なDV夫で見ていて終始ムカついた。

しかし、マフィアによる八百長を嫌がり自分の信念を貫こうとする様はカッコよかった。彼が八百長をやらざるを得なくなり控え室で泣いてしまうシーンは哀しい。また刑務所で人知れず壁に叫び続けるのも…自身の人格に狂わされていっている感じがして、どうしようもなくて哀しい。
人間のどうしようもない人格的な部分をまざまざと見せていく辛さもこれまたスコセッシらしい。

最後にマタイによる福音書の引用が出てくるが、敬虔な信者のスコセッシは宗教的な意味合いをこの映画に入れ込んだのかも知れない。まだ考察の余地はある。
私が考えるには、人格的な部分を原罪又は罪として捉えているのでは?


「デニーロアプローチ」の凄みが境地へと達する。デニーロの演技力が半端ではない。前述した刑務所でのシーンは圧巻。実際に増量したシーンも圧巻。ファイトシーンでパンチドランクになるのもまた圧巻。
派手さは無く静謐なモノクロの映画だが、内に秘める演者達のエネルギーは煌々と光っていた。

いつもヤベェ奴やるジョーペシが、まさかの(ある程度)正常な人間で度肝を抜く。
Masato

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