ギズモX

最後の猿の惑星のギズモXのネタバレレビュー・内容・結末

最後の猿の惑星(1973年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

【猿の世紀末救世主伝説】

「"猿の救世主は生き残った者を集め、緑の野を見つけて人間との共存を図った"」
「"神の意志に沿ってだ"」
「"彼の名はシーザー"」
「"これは偉大な祖先、シーザーの神話だ"」

旧『猿の惑星』シリーズの最終章であり、『マッドマックス』などのポストアポカリプスものの先駆け的なSF作品。
『猿の惑星』全シリーズの中で一番好き。

《大規模な最終戦争の後、文明が崩壊した地上では人間と猿が共存を図るため、エデンの園に似た小さな集落を築いて暮らしていた。
ある日、猿の救世主シーザーは両親を映したビデオテープに地球の運命を左右する情報が残されてあると知り、核で汚染された都市を探索することに。
そこにはビデオテープの他に放射能でミュータント化した人間が生存しており、シーザーを発見したミュータント軍は追跡の果てに集落を攻撃。
それに乗じて人間を敵視するゴリラの過激派も反乱を起こし、集落の人間を全員牢屋に閉じ込めてしまう。
人間と猿の最後の戦いが始まった》

『猿の惑星』は面白い軌道を辿ったシリーズだなと思う。
宇宙飛行士が不時着した星では猿が人間を支配していたという、人種的な問題をはらんだSF衝撃作『猿の惑星』は、元々続編を作る予定など全くなく、前作が大ヒットしたので無理をしてでも制作した&今の段階で物語が終わると救いが無さすぎるといった制作会社の事情が大きかった。
だから『新』のラストを除いては(これでお終い、もう続編は作れないよ!)→(いやそこで終わったらダメだろう、続編を作れ!)の連続で、どうしたらいいのかと現実社会の情勢と照らし合わせながら暗中模索で物語は進んでいった。
未来でミュータント(人類)とゴリラ(猿)が戦争して地球が滅んだ→直前に地球を脱出したチンパンジーが過去(現代)にタイムワープしてきたとか、当時の一体誰が予想できただろうか。
そして、人類と猿が時を越え、歴史が繋がってきたところで、ようやく"一番やらなきゃいけないこと"が描かれた。
それが人間と猿の共存だ。

本作はやや強引な形ではあったものの、人間と猿の融和の可能性を示せる唯一にして最大のチャンスであったと言っても過言ではない。
なぜならこの物語が無ければ、『続』のラストで世界が滅ぶことが確定するので、人間と猿は永遠に分かり合えないと結論づけるのと同じだったからだ。
現実の社会問題を反映させた作品で、その様に終わらすのは絶対に避けなければならなかった。
過去から学び、憎悪と暴力の連鎖を断ち切ろうとする僅かだが確かな希望、本作の真髄はそこにある。

しかし、当時の20世紀FAXには五部作も作る予算が全くなかったので、シリーズ中最も低予算で制作され、結果的にインディペンデント色の強い作品に仕上がった感は否めない。
だけど僕は、この輪廻しながら繰り広げられる人間と猿による壮大なサーガの最終章が、僅かな生き残り以外は何も残されていない、小さな集落の小さな神話で締めくくられたことに対して、何ものにも代え難い特別な力を感じている。
70年代低予算映画最大の良さは、小さき者達の視点から社会を見つめようとする、その乾いたリアリズムだ。

未来がどうなるかは分からない、しかし未来を選ぶことならできる。
全ては小さなところから始まるのだ。

「再建が始まった」
「望み通りの未来を築けると思うかね」
「築けるさ」
ギズモX

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