MASH

最後の猿の惑星のMASHのレビュー・感想・評価

最後の猿の惑星(1973年製作の映画)
2.5
シリーズ5作目にして、一旦の最終作でもある本作。3作目も4作目も十分楽しめた僕としては、今作も評判ほど悪くないんじゃないかなんて思っていた。しかし、残念ながら有終の美を飾ったとは言えない作品だった。

その原因としてはやはり2, 3, 4の脚本を務めたポール・デーンが途中で降りてしまったのが大きいように思える。明らかにリライトされた跡が見える脚本。4作目と今作の間で核戦争が起きたことがさらっと語られたときは、「もしかして1作飛ばして観てる?」と疑ってしまったほど。

そしてとにかくストーリーがしっちゃかめっちゃか。猿と人間の共同生活から始まり、ゴリラたちの反発、シーザーの過去を探す旅、シーザーの家族の物語、生き残った人間たちとの戦争。それがクライマックスかと思いきや、そこからまた人間との関係性を巡りシーザーとゴリラたちで争い、なんやかんやでハッピーエンドという。最後の方は展開にはまるでついていけない。

悪くないとこもある。最初の進化した猿たちと退化しきっていない人間との微妙な主従関係は興味深い。また、種族間の争いという人間と同じ過ちを辿ろうとする猿たちを見ると、歴史は繰り返されるのだというやるせなさが感じられる。そして過ちを繰り返さぬよう、猿と人間が互いに自分たちの未来を考え直すというテーマ自体は良い。

だが、あまりにやっつけ仕事。予算の関係上、クライマックスは流石にしょっぱい出来。キャラ描写も劣化している。前作でカリスマ性を発揮していたシーザーもリーダーらしからぬ行動が増え、家族との交流も薄いため、なんか中途半端な存在に。ゴリラの反乱も理由は分かるものの、ゴリラがあまり賢く描かれていないため説得力に欠ける。そしてエンディングはため息モノ。

シリーズそのものの低迷化はあったとはいえ、それまでのシリーズは1作ごとに何かしら違うアプローチをしており、その一つ一つに強い思いがこもっていた。今作にはそれを感じなかったのだ。確かに違うアプローチはしてるものの、何も一貫したものがなく、ただただ終始行ったり来たりのグダグダ脚本。最後のシーザーの像が涙を流すシーン。僕にはあれがファンの失望の涙に見えてしまうのだ。
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