浅井拓馬TakumaAsai

最後の猿の惑星の浅井拓馬TakumaAsaiのネタバレレビュー・内容・結末

最後の猿の惑星(1973年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

子供の頃たまたまテレビで(衛星放送だったかな?)見て、全体は覚えてないけど猿と人間の子供たちが一緒に歴史を聞いてる牧歌的なビジュアルが記憶に残っていた最終作。

前作から人類ほぼ滅亡までしてるのは飛躍しすぎとかなんでシーザー以外の猿たちがみんな普通に喋れてるんだとかそういうのは置いておいて、生き残った人類と猿たちが共存を模索している舞台設定はとても魅力的。
なんだけど、そこにアルドー率いるゴリラ軍の反乱とミュータント化の進む別の人類たちとの戦いが絡む、これがあまりというか、作品内でうまく混ざってる感じがしないというか、映画的な盛り上げのために入れただけのように感じられてしまうのが残念。
(あとこれは言っても仕方ないけどやはりゴリラ、不憫!なんでこんな力強くて頭悪いみたいな感じにされないといけないんだ...猿は猿を殺さないの教義もこんな種族ごとで偏見があっては守れないだろう...)
(力強くて、で言えば、冒頭でハッキリ人間よりパワーがあるって描写があって改めて前作で猿たちを奴隷にしてるって設定に無理があるよなあと思ってしまった)

前作がかなりハードなトーンで人類に反旗を翻したので、戦いとかアクションとかそういうのはいいから、シーザーたちの作ろうとしてる景色の道のりをもっと見たかったなと、シーザー自身の主体性があまり描かれない全体像は消化不良でした。

ただ、やはり未来で猿と人間が両者共に言葉を発して共存している様子が描かれている点は魅力的。ラストをどう捉えるかは意見分かれるみたいですが、自分は3歩進んで2歩下がるなポジティブな終わりと見ました。
(未公開シーンではミュータント化した人類がコバルト爆弾を使わずに生きていく選択をするシーンもあり、過去作と同じ轍を踏むようで少しずつ違うのでは、いやどうなのか?というニュアンスを強めるには、ここの件は残っててもよかったような気も。)