浅井拓馬TakumaAsai

新・猿の惑星の浅井拓馬TakumaAsaiのネタバレレビュー・内容・結末

新・猿の惑星(1971年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

あそこから続編作れってんな無茶な、をなんとか力技で成立させ、また猿の惑星から人類の惑星へ転換することで他の映画なら見慣れた世界がこの作品内ではジーラたちを通して新鮮に映るという逆転の発想、かつ費用対効果も抜群というアイディアに溢れた3作目。
ゴリラは本作でも不憫。

ジーラたちに寄り添うルイス博士らなど不必要にコミュニケーションが荒れず事態が進むなかオットー博士の疑心暗鬼が進行していく構成により全体の展開に一定の納得感があるんだけど、
なんだかジーラが一作目と比較して癇癪持ちな感じだったりコーネリアスとの関係性が本作で描かれる人間の男女役割的な書き割りへの批判描写のために当てはめられてる感が強かったり、引っかかる感じも強かった。
何より人類から猿の惑星へと辿ったと古文書に記された歴史をコーネリアスたちはいつ知ったのかとか、流石に子供がそのまんまチンパンジーの赤ちゃんなのは無理があるでしょうっていうこういう映像ものとしてのバランスがだいぶ乱れてる感はかなりノイジー。
(ただラストのママの台詞のところはゾクっとする感じもありこれは本作中の造形物では出せないリアリティがありました。
英語がなぜ通じるんだろうというツッコミと同じ視座で赤ちゃんは本物のチンパンジーとしてすり替え展開をさせますと設定したということなのかな)