Cisaraghi

シンドラーのリストのCisaraghiのネタバレレビュー・内容・結末

シンドラーのリスト(1993年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

『フェイブルマンズ』を観て、映画を作る傑出した才能の持ち主なのは言わずもがな、人間的にも非常にチャーミングで尊敬出来る人だと俄然スピルバーグ監督本人のファンになった。まだ観ていないスピルバーグ作品を観たくてまずはこれ。長い、重そうと敬遠していたが、『フェイブルマンズ』で、監督が正統派ユダヤ人として伝統的ユダヤ文化の中で育ったれっきとしたマイノリティだったのを知ったこともあり、ハードルが低くなった。

現代のモノクロ映像が大変美しく(といっても、もう20年も前の映画だけど)、こんなに映像の美しい映画だとは思わなかった。そして、画面の中で何が起きているのか、見やすくてわかりやすいスピルバーグ印。その中で、強い印象を与えられるあの女の子。上手いよなあ…と例によって唸らされる。

スピルバーグが撮影していて気が滅入ったという場面の連続、本当に当時のその時の映像を見ているようであり、その場にいたであろうユダヤ人たちの感情までもが再現されてダイレクトに伝わってきた。事態はそこまで悪くならないだろうと楽観したい気持ち、絶望的な噂を嘘だと信じたい気持ち、裸でシャワー室の中に押し込まれる恐怖と安堵、子供たちの姿を見て一斉に駆け寄る母親たちの胸のうち。当たり前の話だが、烙印を押されていても我々と何ら変わるところのない普通の人々だったことに胸を突かれる。
 
一方で、意味もなく人を狙撃して殺す、人間の最悪の部分を体現しているアーモン。工事に問題があると進言した女性建築家を射殺し、工事は彼女の進言通りにやり直す。その場で射殺はさすがに極端だが、このような心の動きが彼個人に特有のものではないのが何とも嫌なところだ。彼のような人物は、アーモン度高めから低めまでグラデーション的に古今東西どこにでもいただろうし、今もいるし、何なら身近にもいるかもしれないし、自分の中にもその要素が全くないとは言い切れないかもしれない。悪意やサディズムは多かれ少なかれ人間に本来備わっている属性で、それに歯止めがかからず暴走して巨大なシステムの邪悪な意思のようになって作動したのがナチスなのではないか、などとツラツラ思う。
 それにしても、20世紀において現実にここまでやりたい放題だったことにあらためて戦慄する。実物の写真を見ると、レイフ·ファインズのダークなアーモンよりずっと普通の人で、悪人に見えないのがまた恐ろしい。(このレイフ·ファインズのアーモンは、ヴォルデモートに繋がっているのだろう。)

実はエンド·クレジットを見るまで、オスカー·シンドラー役がずーっとレイフ·ファインズだと思っていて、アーモン役の人はレイフ·ファインズによく似てるなあ、誰だろう?と思って観ていた。リーアム·ニーソンだったのか…道理で背が高かった。実際は、アーモンもシンドラーと同じくらい大男だったらしい。まだ若々しいリーアム·ニーソン、よかったと思うが、最後の泣き崩れるシーンがあまり心に響かなかったのは何故だろう?あそこだけ、お芝居に見えてしまった。スターン役のベン・キングスレーさん、実に素晴らしい俳優さんである。典型的ユダヤ人にしか見えなかったが、実はインド系の方で、『ガンジー』でアカデミー主演男優賞を獲得されているようだ。納得。

シンドラー氏が、格別徳の高い人物という訳ではなく、戦争を利用して儲けようとしたただの商売人だったのが、結果的には彼らを救い出すことに繋がったという点に、この美談の意外性があった。この世で一番力を持っているのは、やはりお金、という見方も出来るだろうが、商売人としての才覚とお金の力を正しく使ったシンドラー氏は、もちろんとても偉い。

最後、映し出される戦争が終わって行き場を失ったユダヤ人たち。あの人たちのうちどのくらいの人がイスラエルに向かったのか。そこで起きた新たな悲劇を想起せずにはいられなかった。
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