樽の中のディオゲネス

羊たちの沈黙の樽の中のディオゲネスのレビュー・感想・評価

羊たちの沈黙(1990年製作の映画)
5.0
 考えれば考えるほど、複雑で謎の多い作品である。
 「羊たち」とは、作中でも示されている通り、ジョディフォのトラウマの象徴である。「子羊たちthe lambs」は、一般的に考えれば(複数形であることを気に留めないで考えれば)、アニュス・デイ、そして、神の贖罪のことか。よくよく考えれば、ホプキン氏は、どことなく神に近い存在として描かれており、人を食べちゃうという点でも、人ならざる者として描かれている。そして、ホプキン氏の予言通り、ジョディフォはトラウマ/贖罪から解放される(あるいは、それを放念する)。
 人が、トラウマ/贖罪から逃れることができると、その暁には何が待っているのか。ジョディフォは、序盤で見せる、非凡な険しい表情を失い、平凡で快楽を享受する、腑抜けた表情をみせる。ホプキン氏は何故、ジョディフォには心を開いたのか。それは、彼女がトラウマをかかえ、それが彼女を、ある種、超人的にさせていたからかもしれない。
 神は単独で生きている。それでも、連れを必要としていたのか。それとも、単なる戯れにすぎなかったのか。ホプキン氏の言葉が響く。「大丈夫、お前は十分に非凡だ」、と。