樽の中のディオゲネス

アクトレス 女たちの舞台の樽の中のディオゲネスのレビュー・感想・評価

アクトレス 女たちの舞台(2014年製作の映画)
4.0
 「若」という字には、大きく2つの意味があるそうだ。ひとつは、神意に服従すること、転じて、諾う(うべなう)こと、承諾すること(cf.般若=真理を認識する智慧)。これは、神聖なものに携わる純粋さ、無垢な心を表している。ふたつ目に、弱いこと(cf.若干)、転じて、年若いこと。これは、到達する目標へと向かう一方通行の道において、進んだ距離が短いことが表されている。
 われわれは過去をかえりみるとき、「あの頃は若かった」と考えがちである。その際、まだまだあまちゃんだったと、「年若いこと」を嘆いているのだが、この言葉の言外には、「あの頃は若かった(けど良かった!!)」が含まれているのかもしれない。つまり、若かった頃よりも今の方がより良いのだけど、若かった頃にも今はない「純粋さ」があって良かった、と思いたいのである。
 J.ビノシュ演じるマリアは、まさにこのように考えているのだろう。たしかに彼女は、今は失ってしまった若さを羨み、若さをもつ者に嫉妬しているのだが、その羨みや妬みは、自分も「若さ=純粋さ」を以前は持っていたからこそ、生じるものなのである。だから、彼女にしてみれば、若さに執着するのをやめろ、と言われることは、「若さ=純粋さ」を備えていた過去の自分から今の自分を断絶せよ、と言われることに等しい。
 年甲斐もなく、若い子の真似事をする人を見ると、惨めな気持ちになる。けれども、その人に対し、年齢を自覚し若さにすがりつくな、と言うことは、その人をその人自身の過去から切り離すことを促すことになる。人は過去から断絶されれば、いかなる行為も不可能だろう。
 このように考えると、本編の「年を超越せよ」というセリフは興味深い。