Nasagi

ある子供のNasagiのレビュー・感想・評価

ある子供(2005年製作の映画)
4.0
困窮した生活のなか、子供ができた若いカップルを主人公にした作品。
観たタイミングがタイミングだけに先日の渋谷の殺人事件や、その前に炎上したWeb記事のことが頭に浮かんだ。日本社会の現状はどうだろうか。

観客の同情を誘うような体のいいキャラではなく、置かれた社会環境の当然のなりゆきとして、反社会的な生業に手を染めている主人公ブリュノ。
かれの倫理的な選択や逡巡を観ているこちらにも追体験させつつ、それでもブリュノの行動にはこちらをちょっと置き去りにするような「思い切りのよさ」がある。
それは第一に物語をひっぱる推進力で、第二に彼がまだ「子供」であるからかもしれない。ただ、それ以外に、自分がブリュノについて感じた「面食らい」は、彼のような生活環境にいないがゆえの、温室育ちの優柔不断さの現れなんじゃないかとも思った。

批評家の夏目深雪氏によれば、ダルデンヌ作品で提示されているのは「弱者がその置かれた立場の不安定さゆえに倫理が揺れるという難しい問題」だという。
(『国境を超える現代ヨーロッパ映画250』より)
だとすれば、ブリュノが「なにかを手放すことでお金を得る」という仕組みの虜になってしまっていることも責められないのではないか。もちろん、彼の表情を見るに、自分の行いが間違っているという自覚はもともとうっすらあったのだと思う。あの時点ではソニアからすると反省の「は」の字も見えないレベルだったろうけど。

本作では2種類の「手」がブリュノに差し伸べられる。
ひとつは彼からなにかを「取り上げてしまう」手で、倉庫のシーンで暗がりからヌッと伸びてきて、札束を取り上げてしまうあの手だ。あれはある意味で「搾取」の象徴に見えた。
もうひとつは、かれを「助ける」ための手だ。ただ、それを差し出すのが彼と同じような境遇にあるソニアであることに、社会から「自助努力」を強いられているかのような残酷さも感じた。
ここらへん、『午後8時の訪問者』など後の作品では、より安定した立場の人が手を差し伸べてくれるようになっていると思う。それはもしかしたらダルデンヌ兄弟のなかで問題意識が変わったのかもしれない。
その観点から、最新作『その手に触れるまで』をもう一度観なおしてみたいと今ちょうど考えている。
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