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ニンゲン合格のryosukeのレビュー・感想・評価

ニンゲン合格(1999年製作の映画)
4.4
いつもの黒沢清以上に徹底的に「たるみ」を排除した省略編集は、カットとカットがビシッという音を立てて繋がっているような快感をもたらしてくれる。そして、本作は全てのカットには魅力的な運動が映っていなければならないという強迫観念にも貫かれており、瞬間瞬間が正に純度100%の映画という趣で、その研ぎ澄まされた出来上がりに感服させられた。
黒沢印のダンボールアクション(+水没)の爆発力も素晴らしく、しかも笑えるんだよな。合間合間に挟まれる役所広司が西島秀俊を引きずっていく描写もそうだが、本作のアクションはスラップスティックコメディの色彩があり、黒沢にそういうイメージが無かったので意外だったが、やっぱり何をやってもセンスが良いなあ。
友人と西島の二人が入ったと思った矢先に浮かない顔で出てくる「ドラキュラ伯爵の館」なんかも独特の感覚。
麻生久美子と彼女を家から叩き出そうとする西島が手前までやってくる→火の入ったドラム缶を蹴倒す→画面手前に哀川翔の運転する自動車が滑り込んでくる→消火する役所の背後で馬が横切っていくという一連の動作がワンカットで行われるショットが圧巻。不合理な拘りを押し通すことで輝かしい映画の瞬間が生まれるんだよね。
十年の植物状態から回復したはずの西島秀俊が、事も無げに、昼寝から目覚めるように画面奥で動き出す。本作はホラーではないはずだが、結局主人公は幽霊みたいなやつで、抜け殻のように言葉を放り投げる本作の主人公については、時に棒読みと揶揄される西島秀俊のあの口調がこれだけ活きる役柄も珍しいのではないかと思わせる。
いつも通りに揺れているカーテンに正対し続ける西島もそうだが、そんな彼を見つめる菅田俊もこの世のものでは無い存在に映る瞬間がある。暗がりで姿勢を崩さずに西島に話しかける彼は、まるで「回路」の黒いシミのようにすら映る。上手く他者の心に触れることができない登場人物の目には、主観的には幽霊のように他者が映ってしまうのかもしれない。
「目障り」を自称する哀川翔の存在感も流石。馬に餌をやりながら「俺あんま人参好きじゃないんだよな」と呟く姿や、クラクションの意味が分からず「目障り」にうろちょろする姿が素晴らしい。諦念と執着の無さが表れる語り口。彼だけでなく、西島秀俊、役所広司、大杉漣も皆、この世界に居場所を持ち、生の実感を感じながら生きていくためには捨ててはいけない何かを放り捨ててしまったような気配があり、そんな彼らの交わっているのかすれ違っているのか不明な出会いと別れに心奪われる。
グレープフルーツジュースを求める放浪のシーンでは看板にぶち当たっていた菅田が、二度目に息子と併走する際には、互いの方を見ることは無くとも、抜きつ抜かれつの位置関係を見せ、親子の不器用な接近が窺われる。この描写があるからこそ、終盤の「すれ違い」が切なくなっているように思う。ネオンサインの逆光で影になる二人の描写は完全にエドワード・ヤン「台北ストーリー」の引用だが、両作品はテレビ画面の印象的な使用、ディスコミュニケーションというテーマで共通している。
「回路」のラスト間際、人名を読み上げる不気味なテレビが登場したが、本作でもそれは不吉な知らせを告げることになる。そして、そこには「回路」のラストショットのように大海に浮かぶ船が映っている。近作の「旅のおわり世界のはじまり」でもテレビは異国の惨事を伝えていたし、その辺りには一貫したイメージがあるようだ。テレビって映画内の魅力的なアイテムであり続けるためには絶対ブラウン管の方が良かったよな。「旅のおわり」でも頑固にブラウン管が使用されていたな。
とはいえ、本作では父は無事画面の中に姿を現すことになるのだが、このシーンで妹にテレビの音声を消させる演出が見事だと思った。テレビが流していたのはインタビュー映像であったはずが、無音になったテレビ画面の中の父と家族三人が、西島が望んだであろう形で食卓を囲んでいるように見えるではないか。ここで何度目かのメインテーマが重なるのだが、メインテーマが流れる瞬間にはきちんと映像で情感を作った上でそれを補強しているので(牧場の完成の瞬間もそうだ)下品にならない。おそらく、食卓の様子が正しく家族の姿に見えたからこそ、哀川翔は家を去ろうとするのだと思うが、しかし、妹も母も結局家を離れることになる。
十年間自己が不在であった世界を全身で感じ、穏やかに世界との、他者との距離を縮めていこうとする青年としての姿と、欠落が齎す暴力的な衝動のバランスが目を離せない危うさになっていた西島だが、チェーンソーを持った大杉漣の登場でそのバランスは崩れてしまったようだ。しかし、それは不思議とネガティヴなだけには映らず、十年前の続きのように牧場に執着していた彼は、もう一度「目を覚まそうと」するのだが、彼に与えられたロスタイムはそこまでだったようだ。
彼が牧場を破壊したのは単にヤケを起こしただけではなく、一人また一人と去っていく家族を見て、もう元には戻れないことを悟ってもいたからだと思うのだが、皮肉なことに彼はその不在によってもう一度だけ家族を集結させることになる。この悲しいすれ違い。先述した食卓のシーンでは父だけが「箱」の中に収まり隔絶を生み出していたところ、今度は西島が「箱」の中に収まっており、ついに画面内に実物の四人が揃うことはなかった。
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