倉科博文

レナードの朝の倉科博文のネタバレレビュー・内容・結末

レナードの朝(1990年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

【総評】
僕の心の中で、今もキラ星のように輝き続ける最高傑作のひとつ
ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズという傑出した名優二人の初共演作品にして、人間の気高さ、優しさ、美しさ、強さ、弱さ、愚かさ、恥ずかしさ、醜さ、それらをひっくるめた愛おしさを描き切った作品だと思う

レナードが不条理と直面し、葛藤し、抗い、打ち砕かれ、それでもなお、「やり切った」、そしてある意味において「人生を生き切った」と運命を受け入れ幕を引いていく姿に、僕は心が震え、勇気をもらい、涙が止まらなかった。

【俳優】
この映画では、静のロビン・ウィリアムズ、動のロバート・デ・ニーロといった印象をうけた
抑制的なロビン・ウィリアムズの演技により、なおさらデ・ニーロの心のあり様や変化が際立つ

物腰穏やかに、しかし排他的に佇むマルコム・セイヤー医師の中に、父性や情熱、さらには物語が進行していく中で他者を受容していく様子を描き出していたロビン・ウィリアムズの演技は白眉だし、デ・ニーロの演じるレナード・ロウが、まさにほんの数ヶ月の間に思春期、反抗期、青年期、壮年期、老年期を押し込められたように喜び、激情、困惑、絶望、献身、終焉への受容を経験させられ、嫌が応にも成長と諦念をせざるを得なくなる心の葛藤と混乱を表現するプロセスは「素晴らしい」という言葉では語り尽くせない感動を与えてくれる

【構造】
基本的に、病院内という狭い世界の中のみを描いているが、患者と医師という二人の立場で、レナードとセイヤー医師が演者と語り手(狂言回し)の役割を担っているような構造となっている

しかし、セイヤー医師自身も物語の開幕当初は他者との関わりをあまり持ちたがらない人物として描かれるが、終盤になるにつれ、他者との協調・協力、他者の受容をする成長が描かれる

【構成】
ログライン(筋書き)としては、「病気により青春を奪われたレナードが、セイヤー医師の治療により劇的な回復をし、青春を取り戻す物語」といえる
また、逆の視点に立つと、「他者との交流を苦手とするセイヤー医師が、レナードの治療に苦闘する中で、次第に他者との交流を深めていく物語」とも言えるのではないだろうか

転換点
①やはり最初の転換点は、「嗜眠性脳炎」に罹患した患者たちの中に、まだ治療の余地が残っていることを認識するシーン、具体的には床のタイルの模様を視覚的な刺激として患者たちが移動する姿や、投げたボールをキャッチするシーンだと思う。
②第三幕(最終幕)への転換点は、なんと言っても劇的な回復をみせたレナードの病状が再び悪化し始める場面であろうと思う
ここから、レナードは周りで彼を支える人々を巻き込みながら、物語は加速度的に終焉へ向かう
その中で、セイヤー医師はもちろん、想いを寄せるポーラに対してまで反抗し荒ぶり、レジスタンスを煽動するような振る舞いをしていたレナードは、周囲からの真摯な対応を肌で感じるうちに言動を改め始め、同時に己の命運を悟ったようなレナードは、後世の病気に対する研究のために自らを捧げるようになる。

物語の推進力
レナードの劇的回復をピークとして、それ以前は治療の奏功、それ以降は刻一刻と病状が悪化していく様が描かれ、そのいずれもがワクワク、るもしくはハラハラとさせてくれ、グイグイと物語に引き込んでくれる。
物語の終着点とも言えるポーラとのダンスシーンは、涙目なくしては見られない

よく練られた構造を持ちながらも、シンプルに深い感動を起こさせてくれる名作