きょんちゃみ

ダーウィンの悪夢のきょんちゃみのレビュー・感想・評価

ダーウィンの悪夢(2004年製作の映画)
4.0
インテリジェントデザイン論は間違っている。あんなもの偶然の結果に意味づけしているだけだ。ミツバチの巣の精妙なハニカム構造はマルハナバチやハリナシミツバチの巣のようなそこまで精妙でないものから変化したとプロセス的な説明ができるし、人間の精妙な眼球もプラナリアの眼やオウムガイのピンホールからプロセス的に説明できる。結果が最初からそこにあると考えているから精妙な作りに見えるだけだ。マルハナバチのようにひとつひとつ円筒として巣を作るよりは壁の部分を重ねて一枚にし、労力と材料を横着しようとしていけば、巣は自然と六角形になるし、そのほうが一部屋あたりの広さも広くなる。プラナリアには人間の眼球ほどの精妙さは生き残るために必要ではなかったが人間には必要であった。要するに周りの環境に適応したというだけの話だ。だから、チャールズ=ダーウィンが考えた理論は、進化論ではなくて変化論というべきである。進化は進歩やさらなる精妙化や複雑化を連想させるから不適切な言葉だ。生物がやっているのは、無限に錯綜するネットワークとしての環境への単なる適応である。退化だって環境に適応していれば進化なのだから、進化という言葉は曖昧である。たとえば、なぜ我々はビタミンCを摂取しなければならないのだろうか。ライオンは体内でビタミンCを合成できる。哺乳類のほとんどはビタミンCを自家合成できる。昼行性霊長類だけがビタミンCを合成できない。むかし我々の子孫が夜行性だったころはビタミンCを合成できていた。昼間動く霊長類は人間と違って果物や葉っぱを常習的に食べている。むかしの人間もそうだった。ビタミンCを大量に摂取できる環境において、ある日ビタミンCを作る酵素の一部が壊れて作れなくなったのだが、それでなんの変化も起きなかったのでその環境に人間は適応してしまった。だからいまの我々はビタミンCをわざわざ取らねばならないのだ。「言葉が先か、社会が先か」といえば、いかにも深淵な問いに聞こえるが、社会が先である。サルは言葉がないが、それにしては脳が大き過ぎる。サルは集団で暮らす。競争を避け、葛藤が生まれる。子供が悪巧みをして親同士の力関係を利用する。よって霊長類の脳が大きいのも複雑な社会関係に適応しようとしたのである。逆に言えばそれだけに過ぎない。また、ほとんどすべての進化論への言いがかりにも反論が準備されている。よく似た種ほど激しい生存競争にさらされる。ということは、中間種は新種が生まれると速やかに絶滅する。中間種は途中の変異だから、突然変異としての集団であり、それが確固とした大きな集団にはなりにくい。よって化石にはなりにくい。そもそも化石は証拠として残ること自体が、水辺で死んだ生物の上に土砂が堆積して骨の成分にケイ素などのミネラルが浸透して置きかわり、地殻変動で古い地層が露出するという複雑な偶然が重なったひとつの事件であって、中間種化石は、残らないほうが普通だ。しかもウマなどにはヒラコテリウムから始まり、メソヒップス、プリオヒップスなどの中間種化石は見つかっている。彼らは4本指から3本指になり、現在の1本指すなわち蹄のあるエクウス(ウマ)へと進化している。では、異なる大陸で同種の植物が見つかるのはなぜだろうか。そもそも種とは繁殖可能な個体群のことである。彼らが別々の大陸、つまり環境が大きく違う地域でそれぞれ別の進化の道筋を辿らないのはなぜだろうか。ひとつの大陸から別の大陸へと植物種が移動できて、事実そうしたからである。実はかなりの植物の種子が海水中に一ヶ月間漬けておいても発芽できる。植物が渡り鳥や海流などの要因で、ひとつの大陸から他の大陸に移動することもありうるのだ。哺乳類も氷河期に移動した。もっといえば、ヨーロッパと北アメリカはもともと同じ大陸でプレートテクトニクスによって移動したのだ。生き物にはすべて上下関係はなく互いに平等である。だから、食物連鎖を説明するとき、それをピラミッド型のツリー階層状に説明するのは的確ではない。生物は、とてつもなく複雑なリゾーム型の食物網を形成しており、「食べる=食べられる関係」は確かにあるのだが、それは巨視的に見ると階層的にはなっておらず、ひとつの生物が平衡を乱すと、とんでもないところにひずみが溜まって全体の布置が変わるような仕組みになっている。ミミズより人間が複雑な仕組みを持っているから偉いというのは間違っている。なぜなら、その複雑さは環境にそれぞれの仕方で適応しようとした布置の差に過ぎないからだ。生態学と優生学は違う。現在生き残っている種はすべて最初の単純な生物からそれぞれの仕方で環境に適応しながら変化してきたバリアントである。強きものが弱きものを蹂躙することの正当化に進化論を持ち出しては絶対にならない。それはなぜかというと、それが科学的に間違っているからである。
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