ダーウィンの悪夢の作品情報・感想・評価

「ダーウィンの悪夢」に投稿された感想・評価

Webarenyo

Webarenyoの感想・評価

4.0
ウガンダ側からビクトリア湖を見たときにこの映画が頭をよぎった。
世界について考える。
想像を上回るほど、残酷な現実は存在するのです。
誰かがヴィクトリア湖に放流したナイルパーチのせいで湖の生態系は変化し、在来種は激減した。その巨大魚・ナイルパーチは捕獲され白身魚切り身としてヨーロッパ、日本へ運ばれていく。現地の人や輸送機のパイロットにインタビューをしていきアフリカのひとつの問題に迫る。という映画

グローバル化が進むおかけで先進国はナイルパーチを食糧として求めるようになり毎日500トンも輸出され、国として大きなビジネスとなった。しかしそれはどーなのって問題提起をしていた。まず在来種を滅ぼすなどといった生態系の問題。そしてヴィクトリア湖の危険な漁の問題。これはワニが湖にいて命の危険があるにも関わらず水に潜ったりする男の人達がそれでも生活の為お金の為に続けること。
その男達相手に体で稼ぐ娼婦の問題。そしてHIVの問題も。そして子供ができ、ストリートチルドレンとなる問題。その彼らも危険と知らず有害物質を吸引し恐怖を忘れさせるという。他には輸送機はアフリカに来る時何を積んできているのかという問題。ヨーロッパからは武器が積み込まれて、それはアフリカの紛争で使われているといった問題。さまざまな問題が映像化されていた。

現地の現状を見せることで問題提起し、グローバリズムへの訴えを主張しているように思えた。映画を見るのは殆どは先進国の人で「あなた達がたべてる魚はどうやってその場まで運ばれているのか理解している?」という投げかけをしたかったのではないのか。

ドキュメンタリー映画の批判の中でよく「これは一部分しか映しておらず、悪い印象を植え付けようとしている!実際は他にこんなにプラスなことがある!」ていう主張をよくみるが、一部分しか映さないってドキュメンタリー映画はそういうものじゃないのかって思う。
全体の問題の中から一部に焦点を当てて撮るのがドキュメンタリーなのに、全体を求めるのはおかしい。どちらかと言えば「こんな現状もあるから、まずはこれを見て興味を持って自分達で他は考えてみよう。」というのが正しい捉え方だとおもう。この映画が全てではなく他の現実も存在することは当たり前なのだから、自分自身で考えてみることが必要だと思う。
肉食魚のナイルパーチがヴィクトリア湖で繁殖して、人々の生活は変わった。
始まりはここだが、そこからの悪循環は何をどうしていいかわからない。
備忘録

世の中には絶対的な真理なんてないと思い知らされた作品でした
くろぎ

くろぎの感想・評価

2.7
タンザニア行く前に観といたけど、主題がヴィクトリア湖の生態系破壊なのか、武器密輸なのか途中からわけわからん感じになった。
そもそも武器密輸は裏が取れてない情報なのに大きくクローズアップしてるし…
全体的に非常に恣意的な内容でドキュメンタリー映画としてはどうなのか。
普段勉強しないような観点から実態(それが事実なのかはわからんけど)を知れたのは良かったと思う。
インテリジェントデザイン論は間違っている。あんなもの偶然の結果に意味づけしているだけだ。ミツバチの巣の精妙なハニカム構造はマルハナバチやハリナシミツバチの巣のようなそこまで精妙でないものから変化したとプロセス的な説明ができるし、人間の精妙な眼球もプラナリアの眼やオウムガイのピンホールからプロセス的に説明できる。結果が最初からそこにあると考えているから精妙な作りに見えるだけだ。マルハナバチのようにひとつひとつ円筒として巣を作るよりは壁の部分を重ねて一枚にし、労力と材料を横着しようとしていけば、巣は自然と六角形になるし、そのほうが一部屋あたりの広さも広くなる。プラナリアには人間の眼球ほどの精妙さは生き残るために必要ではなかったが人間には必要であった。要するに周りの環境に適応したというだけの話だ。だから、チャールズ=ダーウィンが考えた理論は、進化論ではなくて変化論というべきである。進化は進歩やさらなる精妙化や複雑化を連想させるから不適切な言葉だ。生物がやっているのは、無限に錯綜するネットワークとしての環境への単なる適応である。退化だって環境に適応していれば進化なのだから、進化という言葉は曖昧である。たとえば、なぜ我々はビタミンCを摂取しなければならないのだろうか。ライオンは体内でビタミンCを合成できる。哺乳類のほとんどはビタミンCを自家合成できる。昼行性霊長類だけがビタミンCを合成できない。むかし我々の子孫が夜行性だったころはビタミンCを合成できていた。昼間動く霊長類は人間と違って果物や葉っぱを常習的に食べている。むかしの人間もそうだった。ビタミンCを大量に摂取できる環境において、ある日ビタミンCを作る酵素の一部が壊れて作れなくなったのだが、それでなんの変化も起きなかったのでその環境に人間は適応してしまった。だからいまの我々はビタミンCをわざわざ取らねばならないのだ。「言葉が先か、社会が先か」といえば、いかにも深淵な問いに聞こえるが、社会が先である。サルは言葉がないが、それにしては脳が大き過ぎる。サルは集団で暮らす。競争を避け、葛藤が生まれる。子供が悪巧みをして親同士の力関係を利用する。よって霊長類の脳が大きいのも複雑な社会関係に適応しようとしたのである。逆に言えばそれだけに過ぎない。また、ほとんどすべての進化論への言いがかりにも反論が準備されている。よく似た種ほど激しい生存競争にさらされる。ということは、中間種は新種が生まれると速やかに絶滅する。中間種は途中の変異だから、突然変異としての集団であり、それが確固とした大きな集団にはなりにくい。よって化石にはなりにくい。そもそも化石は証拠として残ること自体が、水辺で死んだ生物の上に土砂が堆積して骨の成分にケイ素などのミネラルが浸透して置きかわり、地殻変動で古い地層が露出するという複雑な偶然が重なったひとつの事件であって、中間種化石は、残らないほうが普通だ。しかもウマなどにはヒラコテリウムから始まり、メソヒップス、プリオヒップスなどの中間種化石は見つかっている。彼らは4本指から3本指になり、現在の1本指すなわち蹄のあるエクウス(ウマ)へと進化している。では、異なる大陸で同種の植物が見つかるのはなぜだろうか。そもそも種とは繁殖可能な個体群のことである。彼らが別々の大陸、つまり環境が大きく違う地域でそれぞれ別の進化の道筋を辿らないのはなぜだろうか。ひとつの大陸から別の大陸へと植物種が移動できて、事実そうしたからである。実はかなりの植物の種子が海水中に一ヶ月間漬けておいても発芽できる。植物が渡り鳥や海流などの要因で、ひとつの大陸から他の大陸に移動することもありうるのだ。哺乳類も氷河期に移動した。もっといえば、ヨーロッパと北アメリカはもともと同じ大陸でプレートテクトニクスによって移動したのだ。生き物にはすべて上下関係はなく互いに平等である。だから、食物連鎖を説明するとき、それをピラミッド型のツリー階層状に説明するのは的確ではない。生物は、とてつもなく複雑なリゾーム型の食物網を形成しており、「食べる=食べられる関係」は確かにあるのだが、それは巨視的に見ると階層的にはなっておらず、ひとつの生物が平衡を乱すと、とんでもないところにひずみが溜まって全体の布置が変わるような仕組みになっている。ミミズより人間が複雑な仕組みを持っているから偉いというのは間違っている。なぜなら、その複雑さは環境にそれぞれの仕方で適応しようとした布置の差に過ぎないからだ。生態学と優生学は違う。現在生き残っている種はすべて最初の単純な生物からそれぞれの仕方で環境に適応しながら変化してきたバリアントである。強きものが弱きものを蹂躙することの正当化に進化論を持ち出しては絶対にならない。それはなぜかというと、それが科学的に間違っているからである。
魚の空輸と、帰路に積み込まれる荷物。

搾取の上に成り立つ経済を分かりやすく学べる。

このレビューはネタバレを含みます

 

自宅にて鑑賞。タイトルから環境問題系、或いは生態系の噺かと思ったが、貧困に喘ぎ、負の連鎖から抜け出せないタンザニアが抱える根深い問題を炙り出すドキュメンタリー。人類発祥の地とされるアフリカ中心部に位置するヴィクトリア湖周辺が舞台。この広大な湖にバケツ一杯のアカメ科の肉食魚ナイルパーチを誰かが放流した事から全ては始まった。その姿は知らずとも白身の魚として愛食されており、作中にも輸出先として我国の名が登場している。何となく漠然と知っていたとしても、ここで突き付けられる現実を直視すべきである。65/100点。

・開始早々から自然光による暗い画面と独特の喧騒や騒音等の観辛さが気になったが、普段馴れ親しんでいるのが造り込まれた虚構の世界であり、製作当時の等身大が写されたドキュメンタリーである本作が自然であると間もなく気付かされた。色々考えさせれたが何分、十数年前の作品なので、現状を知らず、調べてみようかとも思ったが、想像の範囲内ではないかと躊躇ってしまった。

・魚加工工場のごくごく限られた一部のホワイトカラーの連中を除き、登場する現地のアフリカ系の方々は痩せ細った体躯か稀に細マッチョ(と云うかガリガリマッチョ)系ばかりで、対する非アフリカ系(主に外国人)は恰幅が良いか、それ以上の体格の者しか登場せず、非常に対照的であると同時に本作の描く問題意識が、ビジュアルとして一目瞭然に顕されていた。

・前任者がなたで惨殺されたと云う一晩1ドルで雇われている魚の研究施設の夜警は、侵入する賊に対し、毒を塗った弓で対抗すると云い、傭兵として戦争にも参加したし、何人殺したか判らない、勉強してこんな暮らしから抜け出したいがチャンスも職も無いと、笑顔を絶やさず答える──ニヤケた愛想嗤いを崩さないのに憐れみよりも寧ろ生理的にゾッとした。

・自生するワニと疾病に慄き乍ら捕獲されたナイルパーチは、従業員千人を抱える工場のオーナー自らが供給過多気味と答える。加工済みの切身はヨーロッパや米国、アジア諸国に持ち出されるがその際、武器や爆薬等が携行され、紛争地域へと墜落機の残骸があちこちに散在する警備の緩いハブ空港として現地が利用されている。

・一方、高価過ぎるが故、現地では加工後のアラや頭と云った捨てられるゴミを廉値で引き取り、僅かに骨にこびり附いた蛆虫塗れの魚肉やアラをおこぼれにあずかろうと空を舞う野鳥と競う様に食す。腐る寸前のこのアラが発するアンモニアガスで眼が潰れ、腹具合が悪くなるが、選択肢は無く、群がる子供達はアラが入っていた容器を燻したけケミカルな煙を日常の恐怖の代償としてドラッグ代わりに楽しむ。

・男女を問わず、幼き頃からDVや性的虐待を繰り返し受けていた子供達は早くに家を追い出され、ストリートチルドレンと成り果てる。女性なら上手く農家に嫁いだとしても、亭主は程無くエイズか出稼ぎで取られてしまい、娼婦に身を堕してしまう(インタビューに答えていた娼婦の一人は、後半で外国人パイロットに殺されてしまう)。避妊は宗教的に禁じられ……と思わずごく一部を書き出したが、とても書き切れない程の問題が山積しており、正に悪夢のグローバリズムが展開され、鑑賞者の良心が試され続ける。

・鑑賞日:2017年12月8日

 
感想川柳「魚より 弱肉強食 人間が」

レンタル店でパッケージ借りでした。φ(..)

半世紀ほど前、タンザニアのヴィクトリア湖に何者かが外来魚ナイルパーチを放流する。その後、この肉食の巨大魚は増え続け、湖畔にはこの魚を加工して海外に輸出する一大魚産業が誕生する。セルゲイら旧ソ連からやって来るパイロットは、一度に55トンもの魚を飛行機で運び、彼らを相手にエリザたち町の女性は売春で金を稼ぐ…というお話。


回転寿司で流れてる白身に使われてる魚はこれらしいです。(((^_^;)

外来種の恐ろしさだけじゃなくて、むしろ資本主義の怖さの方がデカい問題。そういう意味の弱肉強食?(-o-;)発展途上国にズケズケと上がり込んで地元に還元することなく、甘い汁だけ吸うという図式はもううんざりです。(×_×)

タンザニアの国の問題だから他国がどーのこーの言ってもしょうがない。国民が立ち上がらない限り変わらないけど、教育すらマトモに受けられないんじゃどれくらい先になるのか…(*_*;

100円回転寿司に行きたくなくなります。嘘だらけだから元から行かないですけど(;´д`)
たまを

たまをの感想・評価

3.8
「先進国」の白人圏と悲惨な「途上国」との様々なギャップ、意識の差などがよく描かれていた。
途上国の無力感、怒り、諦め、全てが生き生きと描かれている。
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