このレビューはネタバレを含みます
自身もアラバマで生まれ育った、ネル・ハーパー・リー原作の小説。
『To Kill a Mockingbird』
公民権運動にも強い影響を与えたという、ピューリッツァー賞を受賞した小説の映画化作品。
だからと言って、この作品は差別云々を主題にはしていません。少女の目から見える世界によって語られます…人の在り方を考えさせる、とても深みのある名作でした。
件の『鹿殺し』を観た直後、真善美に関する思索の余韻が残る最中での観賞だったので…今作にも唸らされました。今作の中でのモッキンバードという単語も暗に『善良さ』を象徴するもの。
そうなると原題も…鹿殺しを想起させる。
半世紀も前の作品に描かれた、このテーマの見せ方に、とても感嘆しました。
細々とした部分でも、訴えかけるものがとても似ていました。
それは例えば、隣人の『ブー』
どんな人だか解らないから、子供ながらの無邪気さで怖い想像を膨らませる。相手を知らないまま『危ない人物』だという位置付けでブーを捉えている。
それは差別であり、偏見の一側面。
ストーリーとして見せる黒人差別と主題との重ね方が、とても秀逸な立体的構成。
本当は子供が好きな優しい人物。
怖さは、本質の不理解ゆえの事。
他者との向き合い方を示唆する描写。
そんなこんなで、何が善良な部分を殺させてしまうのか…をさらに掘り下げる事に😓
疲れてるんだよー…また今度でOK?
_:(´ཀ`」 ∠):
って、考え始めると止まらない性分(苦笑)
でも、観るタイミングとしては最高。
よく見るのは…思考停止した安易な選択。
二項対立を目の前に、個人の意思での選択を回避する。他者と同じものを選んで安心する。
それが本当に正しい選択なのかを考えない…マジョリティへの迎合。
作中には深い台詞が散らばっています。
そのひとつが『妥協』について…
そのまま納得できる和訳ではなかったけれど、思索の種を与えてくれた。
上記の安易な選択を『妥協』として理解している人が多いと思うんですよね…
妥協は英語で『compromise』
それは和解、歩み寄りなども意味するもの。
日本語での意味も書き出してみると…
主張が対立している場合、互いの主張を幾分かずつ譲り合って、一つの結論・取決めを導き出すこと。
はたして私たちは、本来の意味で『妥協』する事ができているのか…という疑念。
白と黒を混ぜてグレーにするのが妥協?
違うよね?
何が良くて、何がダメなのか…噛み砕く。
双方がそれを理解して、より良い選択肢を創造する事が…本来の『妥協』であるべき。
司法が引き合いに出てくる作品だから…
そのコントラストを感じさせてくれた。
現実としても、何が悪くて、どのような罰が必要か…それを考える為の法廷でなければいけないんだよね。
だから私たちは、陪審員制度の本来の用法と意味だったりも、しっかりと考えて理解する必要があると思う…って脱線しすぎ?
そんな中で終盤、灰色が投げ込まれる。
それを受容する自分もいる。
そうじゃないと否定する自分もいる。
どうするべきか、考える事になる。
絶妙なタイミングで、それが投入される。
個々で意見は違ってくるでしょう。
例えばここで私が、それが正しい!と声を大にして訴えたとして、他にも誰かがそれを口にしていて…だからと言って、それが本当に正しいのかを考えないでいい理由にはならない。
思考のない妥協は正しくない。
正しそうな方へ賛同しているだけ。
あなたはどう考えているのか…
まず考える、そして意見する。
互いの主張が対立するのなら、納得いくまでぶつけ合って、形にする。
それぞれの良さを引き出す…
理解して、昇華させる…
もう一段上に登るのに…必要なこと。
それが『妥協』でなければならない。
意味を履き違えないようにしたいですね。
こういうテーマを観る時、いつも考えさせられるのが…いったい私は、何を信じるべきなのか…何を信じたいのかという設問。
胸に残ったのは…真心という言葉。
何よりも先に、心ありき…
そうやって私たちは他者と接している。
だけど、ありふれているのは…
それぞれの良さを殺しあう姿。
それが『鹿殺し』という作品だった。
だから素晴らしい作品だったけれど、ネガティブな余韻を残していた。
モッキンバードを殺すのは…
今作はその問い掛けに、子供の視点を加える事でテーマの純度が増して見えた…健全で、こうありたいものを描くことができる点で、ポジティブを与えてくれると感じました。
どちらが好みか…によりますが、個人的にまた観たいと思えるのは今作ですね。
半世紀以上経っても、同じことで悩んで…
人間は技術ばっかり重宝ぶって、本質的な進歩はできてないですねぇ(苦笑)
他人事みたいに言うことじゃないけど(^_^;)
マーク数の少なさに愕然。
これは観なきゃダメなヤツですよ!
胸を張ってオススメします(*´꒳`*)