海

秋日和の海のレビュー・感想・評価

秋日和(1960年製作の映画)
-
桜は春を選んで散り、陽は夏を選んで長居をして、かえでは秋を選んで美しく色づき、雪は冬を選んで降るのだとしたら、わたしとあなたのことも、運命なのだと思うのです。いつかかならず来る別れに見守られながら、長い人生のうちの大切な時間を重ねあわせる、ちょうど手を重ねるように優しく。春は永いほうがきっといいように、秋もできるだけ続いてくれたほうがきっといい。季節がめぐるからこそ、ひとは美しいのだとわたしたちは知ってる。いつか別れてしまうからこそ、人生はかがやくのだとわたしたちは知ってる。それなのに、やっぱり、わたしたちは肝心なところで未練がましくて、いつか、とか、三月に一度、とか、何も役に立たない話を、ずっとしていたいと望んでしまう。わたしの母は、わたしが7歳の頃から今までずっと、わたしと妹を女手一つで育ててくれた。はじめて付き合った人と別れたときに、母はわたしを抱きしめて、「海にはもっともっといいひとがいるから大丈夫。こんなにすてきな子なんだから」って、言ってくれた。わたしから切り出した別れだったし、悲しんでなんていなかったのに、それでも母はわたしを大切そうに、子供のころと同じ強さで、ぎゅっと抱きしめてくれた。お金だけはいつもなかったのに、母はいつかの年の夏の終わりに、わたしが今でもずっと大切にしている海に連れて行ってくれた。夜中に家を出て、一晩中車で走って。わたしは車の旅が大好きだったから、ほとんどのあいだを起きて、いろんな話をしていた。ねえお母さん。ねえ、ママ。本当は、あなたが笑ってくれるなら、わたしには普通の幸せをあきらめることくらい容易かった。結婚もしないつもりだった。子供だってほしくなかった。でもわたしは、あのときあの海を見に行ったときからずっと、いつかもしも結婚して子供ができて女の子が生まれたなら、付けてあげたい名前がある。そうしたらその子に、あなたと同じ名前の駅から歩いて行ける海が、すごくすごくきれいなんだよって、教えてあげたい。わたしとあなたは、愛に成り、愛の器に成り、同じ場所を回り続けて、わたしたちになっていく。雨はいつのまに雪に変わっていたんだろう。つめたいのにやさしくて、あたたかいのにくるしくて、胸にいっぱいになった記憶は、いつかこぼれてしまいそうでこわかった。思い出さなければ忘れられるだけのいくつものことのために、人は泣くし、花は死ぬし、また咲いて、何もかもが、美しく見える。この映画のすべてがわたしにはなつかしくて、せつなくて、さみしかった。娘と向かい合いながら、ゆで小豆を一緒に食べたことずっと忘れないわと微笑む母。この映画を今夜母と一緒に観たことを、わたしは生涯忘れないだろう。
海