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海辺のポーリーヌのKuutaのレビュー・感想・評価

海辺のポーリーヌ(1983年製作の映画)
4.1
海水浴に白パン履いてくる豪胆さすら僕にはありません。

虚実の合間でフワフワしたノルマンディーの夏。アバンチュールでセックスしまくるお化け達。ヤリチンのアンリの言葉通り、地に足つく事の無いやりとりはひたすら軽やかだ。

他者とのコミュニケーションと、その曖昧さが扉や窓を介して表現される。扉の中に入るオープニング。アンリの家の扉は開けっぱなしで、ポーリーヌは窓を開ける事で大人への一歩を踏み出す。ピエールは開いたままの窓からセックスを目撃する。劇中最大の嘘は扉の向こうで行われる。

嘘とホント、「扉の内と外」を上手く織り交ぜられる人間が恋愛で有利になる。

パーティー中にピエールがマリオンに言い寄るが、あっさり拒絶されるシーン。マリオンが1人でキッチンに入っていくのをカメラは追わない。そのため、彼女が扉に閉じ込められた「キッチンの内と外」の構図が生まれる。彼女に迫るチャンスだ。

だが、ピエールはキッチンの中で待っている。マリオンに愛を語る様子は「内と外」の構図でなく、キッチンの内側から単調に捉えられる。結局マリオンはキッチンの「外」へ逃げ出す。ピエールの下手くそな距離の詰め方が際立っている。

ラストは扉から出ていくので、映画という幻想から抜ける、現実に帰ってくるエンドかなと思ったが、「全ては解釈次第」的な締めの会話をするマリオンとポーリーヌの切り返しで、カメラは「車の中」に入る。どんだけ入れ子構造続くんだと思った。

デザイナーのマリオンは色への意識が強い。アンリとシルヴァンは目の覚める様な赤い服を着てナンパに成功する。ピエールは弱々しい青。お前も少しは赤要素無いのかと探していたら、彼が専門とするウィンドサーフィンの帆の一部は赤い。海の上で帆を立てる場面でも、小さく赤が写っている。何とも言えないが、ピエール頑張れという気持ちになる。

険悪な雰囲気になった後、部屋に篭ってしまったポーリーヌに、アンリはドアを半分開けて「大丈夫?」と声をかける。憎らしいほどスマートにドアを操る男だ。

「言葉多きものは災いの元」がテーマの今作。色を使うマリオン、喋ってばかりのピエールに対し、学者のアンリは最初からタイプライターを叩いている。クライマックスでは会話を避け、手書きの手紙を使う。現代日本に転生しても、電話やLINEを上手に使い、女性とコミュニケーションしていくに違いない。

はっきり自分の感覚と合わないと思ったのが、固定画面での会話。そこで重ねられる嘘と、愛についての抽象的な議論が、他者目線のカットバックで遮られる、という流れだが、なかなか画面が動かないのが辛い…。

エロいマリオンと若々しいポーリーヌ、アルメンドロス撮影の色彩に集中したいのに、言葉の応酬が続くので、字幕を目で追う時間が長かった。「なんか字ばっか読んでるな俺」という気持ちが湧き、眠くなってしまった。適当なことを言い続ける登場人物の表面的な会話は、まさに表現されている気はするが…。

こう感じるのが自分の嗜好のせいなのか、画面内で見るべきポイントを掴めていないだけなのか、よく分からない。全体としては素晴らしい作品だと思うが、高評価の方は会話パートをどんな見方をされているのか気になる。少しでもフランス語が聞き取れたら、もっと画面が楽しめるんだろうなぁ。82点。
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