ルサチマ

月の砂漠のルサチマのレビュー・感想・評価

月の砂漠(2001年製作の映画)
5.0
素晴らしい!かつて梅本洋一が「大島渚から青山真治へ」と題して優れた評を書いていたが、これは90年代のエドワード・ヤンから21世紀の青山真治へという系譜が成立した奇跡的な一本だと再確認。

久しぶりに見直していて、最近ずっと考えている『イントレランス』と『太陽は光り輝く』の断片が明らかに『月の砂漠』にもあったことに驚く。古典ハリウッドの時代を経て、都会に生きる罪を抱えた者たちの匿名的攻撃を引き受ける男の話としての相貌が新たな気づきとして立ち上がってきた。

月の砂漠のディスプレイが表示されている「オフィス」において三上の立てる音ばかりが反響する中で、三上の住む「立派な家」では幻聴のように水槽の中の水の音が押し寄せる。それに対して三上から離れて「ホテル」で暮らすとよた真帆は老夫婦の幻覚に苛まされ、「田舎の家」への逃亡を図ることにより、幻覚に対して戸惑うことなく次第に引き受けるような態度を取りはじめる。

互いに身体的欠陥を抱く中で、彼らは見て見ぬフリ、聞いて聞かぬフリを演じることでつかの間の生活を手に入れるように思えるが、そうした自己処理はいとも簡単に脆さを見せる。とよた真帆は庭先で倒れ、三上は身内の同僚から裏切られ睡眠薬に倒れる。

2人の夫婦による離れ離れの転倒は、一人娘と父を憎む柏原というそれぞれの歳の離れたバディを組むことを導く。そして彼らこそが取り替えの効かぬ存在として、かつての夫婦の媒介となるわけだが、ここで興味深いのは元々金によって動かされていた柏原の存在が『東京公園』における三浦春馬の役割を想起させることだ。柏原も三浦春馬もともにスパイ活動のような役目を担いつつ、柏原はいとも簡単に任務を果たすのに対し、三浦春馬は柏原の任された使命より遥かに簡単な任務を不器用にこなすという違いはあれど、離れ離れになりつつある夫婦の媒介を果たす若者としての役割を見出すことができる。そしてそのスパイ活動の過程で柏原が最終的に自らの血筋を疑うように、三浦春馬も血のつながらない姉との恋愛関係を突きつけられるのだ。

冷めた夫婦の物語として三上ととよた真帆に与えられていたはずのナラティブが、出自を見定める若者のナラティブへと移行するとき、それは『Helpless』から繋がる青山真治の主題と密接に絡まり合う。

バイクを乗り捨てた浅野忠信がいて、バスから降ろされた斉藤陽一郎がいて、ダンボール生活を燃やした柏原がいて、染谷のいた部屋へ新たに榮倉奈々を受け入れ新生活を始めようとする三浦春馬がいる。

彼らは皆、既存の家族の媒介者として時に道化としての立ち回りをしながら孤低に生き抜く術を見出そうともがく。『月の砂漠』の柏原は他の青山作品の若者と同様にいずれ血も繋がらぬが、しかし血よりも濃い結びつきとしての他者に出会うことはできるのだろうか。その根拠はクライマックスで三上に突きつけた銃の引き金を引かなかったことにひとまず見出すこともできるだろうが、なによりも『月の砂漠』以降に描かれた『東京公園』をはじめとする青山作品を見ることで、柏原という存在に再び立ち返りたいと思う。
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