やまモン

八月の濡れた砂のやまモンのレビュー・感想・評価

八月の濡れた砂(1971年製作の映画)
3.7
【若い時代の余韻を】

「若さ」とは何だろうか?と考えたとき、一つにはそれは荒々しさであったり、無鉄砲さといった側面が強調される場合がある。

それはエネルギーに満ち溢れていることによるものなのであろうが、兎に角、かつての「若者」にとって、その、有り余った、或いは溜まった内なる熱さを如何に発散させるか、ということは、大きな問題でもあった。

この作品においても、10代の少年少女が若さを暴発させて、エネルギーの火花を散らしている。

それは、「真面目」に生きている者達や、大人達からすれば、大いに鼻つまみ者ということになるのだろう。

しかし、スクリーンの向こうで若者達が弾けている姿は、あまりにも強烈に輝いており、また、清々しささえ感じられる。

これは現代の日本には存在しない、失われてしまったものの一つと言えよう。

今の日本は、市民達のコロナへの対応からも分かるように、民度も高く、確かに良くまとまっている。

しかし、活力は失われてしまった。

この作品の時代、昭和の頃は、日本という国自体が若者であった。だから、そこに生きる人々にも、荒くも、力強い、活力のようなものが感じられる。

最早、日本や日本人がかつての若さを取り戻すことは無いのだろう。

ならばせめて、スクリーンの中からだけでも、その余韻に浸りたいものである。