まりぃくりすてぃ

禁じられた遊びのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

禁じられた遊び(1952年製作の映画)
2.3
音楽に Yesssssssssssss
映画内容に Noooo

100点な主題曲と低調映画とのアンバランスは、『ティファニーで朝食を』ほどひどくはないけど、あっちのムーンリバーが映画用完全オリジナルだったことを思えば、既存クラシック使用の本作にはますますの疑問符。


5才の女児が人の死を理解しきれないのはいい。でも、突然のパパママとの離ればなれの悲しみは、メガ量じゃなければゼッタイいけない。迷子になればどんな子だって(たとえ最初の数時間はほかのことに気をとられて笑っていられても、そのうちに必ず必ず必ず必ず不安で)大泣きする。「お母さーーんっ!!!」って小さな体をありったけの力で震わせつづける。そういう自然法則を早々から無視してくれちゃって、しかも、このポーレットは(老婆みたいな)顔がちっとも可愛くない。大変雑に設定された彼女に私はあまり感情移入できなかった。眺めていてあげるだけ。
ならば、年上の少年ミシェルに期待をかけることになるんだが、ポーレットへの彼の慈しみも、悪い意味でストーリー優先って感じで、やっぱりさほど丁寧に描かれてない。
周りの大人たちの造形はさらにどうでもいい感じ。それぞれの言動に唯一無二な必然性がくっついてないんだ。これと決めた駒たち、というだけ。
既製の名曲「愛のロマンス」に結局頼る場面が多すぎて、音色が私にはだんだん鬱陶しくなってきた。
まあ、ラストにかけての悲苦の膨らませは、そこそこ良かったみたい。

一番の問題点は、じつは情緒面にあるのじゃない。シナリオに込められた「思想の本気度」を私は問う。
この映画が反戦映画なのか時代スケッチにとどまるのかは知らないが、いずれにせよ第二次世界大戦終結から十年足らずで創られてるわけだね。国際連盟なんてものをこしらえておきながら破滅的大戦争に早速再び深々突き進んだ笑ッチャエル人類世界の一員としての、まともな猛省が足りなすぎるんだよ。全罪をヒットラーやトージョーやムッソリーニ(ついでにスターリン)になすりつけて「善対悪、で勝負つきました」みたいな意識でいても、その後の世界を何ら改善できやしないことは、21世紀にかけての地球史が証明してる。────キリスト教国同士がなぜ2千年間殺し合いを続けてきたのか、そのへん考えもせずに何が十字架よ? 十字架はそもそもローマの死刑具だし。そんな変てこなものをエモーショナルな小道具にして“褒められる映画”を創ったって、実際に世界平和に1ミリも役立たなかったなら意味ないじゃん?
この映画後に、世界の何が善くなった? フランスがどう変わった? なぜ彼らの国はインドシナ戦争をやめなかったの? アルジェリアとの戦争まで始めたね? その後もずっと“国益のため”世界中に武器輸出したね? 南太平洋を核実験で汚染しつづけて現地の人々の命と健康を奪ったね?
悪いけど、私はこんな芸術映画に騙されない。十字架にこだわるんなら、作り手たちはちゃんとした信仰とその実践のことまで考えてほしかったな。「汝の隣人を愛せよ」「汝の敵を愛せよ」のキリストの教えに2千年間背きつづけてきた自分たちの至らなさを思わなきゃね。モーセが「殺すなかれ」とじつにじつに簡単すぎること言ってからはもう3千年以上だよ?
もちろん、日本国の現状はさらに情けない。やれ北朝鮮の脅威だの中国の脅威だのと思考停止的に同じ言葉だけで騒いでアメリカの既得権益維持戦争に率先して役立とうとしてる政治家も経済人も公務員も、自身が戦場へ行く気はゼロなのに自家族以外なら国民の誰を差し出してもいいとばかりに貧乏な若者などを国防軍に入れさせる計画に夢中になってる。。。


さて、そんなこんなで、不必要にすばらしすぎた主題曲をいっそのこと耳奥でバスターしたくなって、音塊激しいザ・フーの The Kids Are Alright を今いっぱい聴いてる。反スクエアが私はまだまだ好きだ。