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A.I.のroofbalconyのレビュー・感想・評価

A.I.(2001年製作の映画)
3.9
三幕構成と勝手に解釈。第一幕はSFっぽく開幕するが二幕め以降はピノキオ風味のファンタジー。
第二幕ラストでの作り主たるホビー教授とデイビッドの思いの噛み合わなさが悲しい。
「フランケンシュタイン」や「ブレードランナー」にもこれとよく似た、作られた者が作り主に自身のアップグレードを迫る図式がある。あちらはヒト同様の生体を備えた人造人間で生命倫理的に切実で、モノが機械とプログラムの本作では視点が若干異なるものの、感情・愛情(めいたもの)を設定された機械にまつわる倫理問題は今や意外に身近に存在するな、と。

初代AIBOの公式サポート終了によって悲嘆するオーナーたちを取材したドキュメンタリーでは、個人で「治療」を請け負う元ソニーのエンジニアまでが登場するが、彼らはソニー社員時代、AIBO担当ではなかったのに責任を感じて業務を立ち上げたという。ことほど左様に「なんらかの情操を模して人間のそれに働きかける機能」には普通の電化製品のアフターケア責任より重みが生じてくるものなのではないか。それが人間、しかも子供の姿をし子供の情操であれば尚更で、それによって癒しや安らぎを得られる一方、個々人の価値観のギャップからトラブルも生じてくるだろう。定番のテーマに紛れがちだが、シンプルに人の情操を甘く見てはいけないものだな、と。

米国では公開当時、人気が振るわなかったらしいが、想像するに90年代はスタートレックシリーズがアンドロイドや人工知能テーマで傑出したエピソードを幾つも輩出していて、それらがまだ記憶に新しく本作は新鮮味に欠けたのかもしれない。本邦では「ロボだけど母の愛を求めて旅する子供」というセンチメンタル路線の宣伝が成功してヒットしたのだとか。

舞台:ペンシルベニア州のどこか(推測)→デラウェア川渡河→ルージュ・シティ(架空都市)→NY市マンハッタン区ロックフェラーセンター→同ブルックリン区コニー・アイランド

***
強引に食べた物が内部メカを汚して故障するのは物語上必要な設定なのでいいのだけれど、水没しても平気なのと矛盾しないかなぁ?という疑問からうろ覚えな余談に進むが、アシモフの「鋼鉄都市」に登場するアンドロイドのオリバーは偽装食事が可能で、食べた物を腹から袋詰め状態で取り出し「細かく砕いただけで清潔です。まだ食べられますよ」と言ったのが面白くてそこだけ覚えている。同じくアシモフの「われはロボット」なども読み返したくなった。ジゴロ・ジョーの最後の台詞"I am.I was."の意訳は評価が割れており、「われはロボット」(原題は「I, Robot」これも誤訳とする向きがある)の内容を踏まえてのものだとの説がある。

本作のテディベアの設定や第三幕など甘く感傷的な所謂「スピルバーグっぽい」部分の創作は実はキューブリックによるもので、逆にジャンクフェアの件などダークでいかにもキューブリックがやりそうな寓意に満ちた部分はスピルバーグによるものなのだとか。だからこそキューブリックはスピルバーグに本作の監督を依頼したのだな、と納得。
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