仕事から帰宅して、シャワーを浴び、食事と一緒に飲むべくワインを開けて、何げなくテレビをつけたら、航空機がビルに突っ込んでいくシーンが映されている。派手な映画だなあ、と、思いながら、チャンネルを変えたが、どの局も同じ映像が流れていた。
ロンドンの友人から電話がかかってくる。向こうは昼間だ。お互いに何がなんだか訳が分からない。西海岸の親しい友人に電話をした。早朝まだ寝ていたところを叩き起こされて、ブツブツ言いながらテレビをつけた瞬間から言葉を失っていた。しばらくしてから、「後でかけ直す」とだけ言って、電話は切れた。
2001年9月11日は、世界にとって悪夢の日となった。
開明獣の友人には犠牲者はいなかったが、友人の中には、親戚・知人・友人を亡くした方がいらっしゃった。そんな友人の一人が、自分が本好きと知っていて、後に一冊の本をプレゼントしてくれた。それがこの本の原作だった。
原書を読むのは骨が折れる。村上春樹や多和田葉子の新作なら、1日で読んでしまうけれど、知らない作家の小説を原典で当たるのは、根気と集中力がいる。辞書を引きまくって、最初の100ページを乗り越えればなんとかなるのだが、そのハードルはかなり高い。卒論書くのに、原書読まざるをえなかった時期を懐かしく思い出した。100ページを超えてからは、無類の面白さで、相変わらずカタツムリペースだったけど、なんとか読み終えた。
本を贈ってくれた友人に、読み終えた報告と謝意を表すると、「これこそが最高の911小説で、こういう実生活の中での葛藤を描いたものがあるべきだった」とメールで熱く語ってくれた。普通の人達が、もしかしたら2度と癒えないかもしれないような心の傷にどう対処していくのか、それこそが今のアメリカに必要なものなのだ、と。原作はベストセラーになった。
だが、映像化された本作は、本国では不評だった。友人は憤懣やる方ないといった体で、メールで評論家たちがいかに愚かであるかとぶちまけた。開明獣も映画を観て、これは911をテーマとした作品の中では最高傑作だと思った。映画にしか出来ないことを、忠実にしてくれている、観るものの心に寄り添う作品だ。これに不評な人たちは、映画はファンタジーだということを忘れてしまってるようだ。開明獣は、こんなにも哀しくて切なくて、でも優しくて暖かい作品は、他にそうはないと思う。
原作を紹介してくれた友人は、数年前に癌で亡くなってしまった。よく笑う豪快な女性だった。
久しぶりに観たけれど、初めて観た時と変わらず涙した。観る前に、儀式のように、スコッチウイスキーの封を新しく切った。観終わって、空になっていたグラスに酒を満たし、犠牲者の方々と、そして今は亡き友人へ、静かに献杯した。