GakuKobayashi

この空の花 長岡花火物語のGakuKobayashiのレビュー・感想・評価

この空の花 長岡花火物語(2012年製作の映画)
4.7
この空の花を僕は有楽町のスバル座で2回、川越のスカラ座で一回、池袋で一回と、劇場で、最も見たい映画になったわけだけど、その魅力の大きな一つに客層というものがあった。スバル座では、戦争という題材に加えて場所柄、当時の(そして今の)僕の年齢×3くらいが少なく見積もっても観客の平均年齢だった。
そんな人たちが、この映画を見てどう思うのか、とても興味があった。
大林宣彦(この映画の監督です)にとって題材というかテーマというかモチーフというか、この映画なら戦争なわけだけど、そういったものはカオスを表出する要素に過ぎない。(監督本人はそんなつもりないどろうけど)
この花の空なら戦争が、その次の作品「野のなななのか」も戦争(そして性と生と死)が、「その日の前に」や「転校生」なら生と死がそれぞれカオスを表出する大きな要素だった。
それにしても、この映画のカオスっぷりは常軌を逸している。
徹頭徹尾、カオスである。
主要登場人物の猪俣南(今は青森放送のアナウンサー)が演じる、花が、自身が書き演じる台本のことを「声」で出来ています、と言っていたが、この映画の大きな要素、つまりカオスの要因に声がある。
実在モデルがいる架空の登場人物がでてる(フィクション)、にも関わらず。モデルそのものが出る(ほんもん)。
誰の声がなんなのかもはやわけわからん。
その声と密接に結びついている要素に歴史(時間)がある。
現在と過去は行ったり来たり、あるいは同居する。
と、同時に空間も歪む。
こちらとあちらの境界はもはや無い。

楽観的な教訓もちらほら見える映画だが、その程度の甘さが必要なのも、また頷ける。
ただ、この空の花と野のなななのかでカオスのインフレは最高潮に達した気がする。
今後、どうするのか。
削ぐのが、盛るのか。
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