亘

12人の怒れる男の亘のレビュー・感想・評価

12人の怒れる男(2007年製作の映画)
3.8
【慈悲と法】
モスクワ市内の一等地に立つ古アパートで殺人が起きた。被害者はロシア人将校、容疑者は将校の養子のチェチェン人の少年ウマル。12人の陪審員がウマルが有罪か無罪か投票すると、1人のみ無罪に投票。そこから証拠の洗い直しが始まる。

アメリカ映画の名作「十二人の怒れる男」のロシア版リメイク。アパート階下の老人や向井のアパートの女性の目撃情報や、審議の流れはほとんど原作と同じ。事件解決のきれいさとか事件解決メインで見るのであれば、原作の方がが優れていると思う。だけれども本作の特徴は、ロシアの抱える現代の問題や各陪審員の背景が盛り込まれていること。事件解決だけじゃなくて、複雑に絡み合った背景があることで、原作(1952年版):95分→本作:160分になっている。

今作の背景にある問題は、チェチェン問題と民族問題。
チェチェン共和国はロシア南西部にあるイスラム教徒の多い地域。独立意識が強くテロを起こすことがあり、チェチェン紛争ではロシア軍が空爆をした。今作の容疑者ウマルは両親をチェチェン紛争で失った孤児。被害者のロシア軍将校に引き取られたのだ。チェチェン紛争の様子は時折フラッシュバックで挿入されるから、観客にもウマルの悲しい過去が刷り込まれる。

そしてロシアにおける民族問題も今作のテーマ。容疑者はチェチェン人だし、陪審員には、ユダヤ人やジョージア出身の外科医がいる。彼らは俗にいう"典型的なロシア人"とは民族が違う。そして差別主義者のタクシー運転手が、周囲の陪審員をあおりながら差別心から有罪を強硬に主張する。それでもジョージア出身のたたき上げ医師がコーカサス人としての誇りを語り反論する。原作だと、有罪強硬派はある意味"ただの不良嫌い"だったけど、本作だと人種差別の要素が入り、いわゆる"典型的ロシア人"ではないコーカサス人が実体験から反論することで重みが出ている。

そして社会制度に対する批判もある。裁判所が改修中だから隣接した小学校の体育館で審議。その体育館はパイプが丸出しだしテレビは映らないし、たびたび停電する。「電球を変えても配電盤がダメで」というセリフや"パイプは40年放置され、今後も40年放置される。この国は話すだけで何もしない"という話は痛烈。それでも"ロシア人としての誇り"とか"ロシア的"とか話の中に時折出てくるし、みんな自分の国ロシアに特別な思いを持っていそう。

終盤は全員一致の結論になるのだけれど、その後の一捻りがあるのも今作の見せ場。原作ではほとんど見せ場のなかった陪審員長ニコライが最後に少年への慈悲から"あえて有罪"を提案するのだ。その後のラストシーンで見せるニコライの慈悲と信念は、事件解決中心の原作と最も異なる点だろう。この終盤の展開こそ今作最も想像を超えたし、ラストシーンでの引用「法の力は強大だが、慈悲の力は法よりも強大である」も印象に残った。

印象に残ったシーン:ニコライが"あえて有罪"を主張するシーン
印象に残ったセリフ:「話すだけで何もしない」
亘