ベビーパウダー山崎

家族生活のベビーパウダー山崎のレビュー・感想・評価

家族生活(1984年製作の映画)
3.5
見捨てられた子どもが、そう安々と父親と親密な関係を築けるはずもない。愛は一方通行で、「家族」は形式でしかないのがジャック・ドワイヨン映画。ドワイヨンを見ているとわかってくるが、この機能不全に陥る家族とは、好きなように生きている者たちへの罪と罰。他者より己のナルシシズム的な生き方を選択してしまうのが人間で、その身勝手な私たちが幸福な家族をもち、アカルイミライを目指すことなど不可能で烏滸がましいという考え。幼い子供を大人目線から映すのではなく、一人の独立した個人として描くのもドワイヨン映画。
もうすでに、この時点で己の作品の焼き直しのようにもなっていて、現在進行系の彼女と別れた妻にあずけている娘という構図は『泣きしずむ女』そのまんま。大人に簡単には懐かない娘のキャラクターは『あばずれ女』。
断絶している親子を繋ぐのが「ビデオカメラ」というのが80年代。一枚かましたビデオカメラ越しでしか本音を言い合えない、この寂しさ。妻も他人で、血を分けた子どもでさえ心が通じ合うことはない。一度でも手を放してしまった凧は大空をさまよい、二度と己の元に戻ることはない。これ以上は近づくことも離れることもない距離に苦悩したり叫び合ったりしながら今日も明日も生きるしかないのがドワイヨン。
ジュリエット・ベルトがドワイヨン映画に出て感情剥き出しで芝居をしている違和感。小娘だったころのジュリエット・ビノシュは脇のキャラ、突然、着火してブチ切れるのはさすがに上手い。このあとキチガイの公私混同映画で散々狂った芝居をやらされることになるわけで、その準備運動としても良かったはず。シブイがキモいサミー・フレイはもちろんドワイヨンの分身。