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暁の脱走のotomisanのレビュー・感想・評価

暁の脱走(1950年製作の映画)
3.9
 まどろっこしくて参るぜ。淑子が、私「運命の女」なんですと迫るのに池辺上等兵は「兵の運命は上官で決まる」と任じているらしい。これが勝新や高倉健なら役柄も「あんな感じ」にピタリと決まるんだが、そこが1950年というわけか。淑子の当て馬になる兵の柄がどうあるべきか定まっていない感じだが、池辺でいこかと決めた、そこが却って上等兵とは実際あんな感じの鯱張ったり、へろへろであったりになるんかと、やっぱり「馬」以下かなんて新鮮に感じられてもくる。
 対する悪役上官はなんてわかりやすいんだろう。兵曹誰からも嫌われて、あいつをへこますためなら軍規も破って重営倉だって食らってやらぁと思わせるようなヤローである。対する、正直と真面目にバカがダブルでつく感じの池辺上等兵の、淑子にも悪党小沢中尉にも翻弄されるのが兵の運命のような情けなさで、このザマだから時代が下って勝新・健さんなんかに掻き回してもらわにゃ間尺に合わんとなるのだ。
 しかし、こんな池辺上等兵にして相手の淑子であり、対する悪党小沢中尉であるからこそ、軍曹以下カッカと来るわけで、二人の脱走を見逃したり、わざと射撃を外したり逆に悪党中尉を殺っちまおうとしたりと、案外、あの時ヤローにそうしてやりたかったという覚えがアンタにも有ったろう、デヤ?と、観客に向かって煽るような感じを覚えた。そんな妙なリアリティが池辺の死亡検案書の捏造にも表れるのだが、まさしく「眞相はかうだっ」と打ち明けて見せてヘロヘロ池辺も最期は男んなったぜと挽歌を捧げて見せる。ただ、悪党小沢の鼻を明かして天晴れ散ったけど、所詮、「陛下の赤子」へと回収される苦々しさを払拭し切れない気がする。あと一週間で敗戦だったのにね。
 そこが未だ敗戦から5年なのか、やっとかもうかという感じの長いのか短いのか、あの頃俺にも淑子なんかがくっついてきたらなぁとか、「星の流れに」とか聞きながら、「淑子」とまではいかないけれど一緒に寝てる相方を見ながら、少なくとも女と靴下は淑子並みに強くなったなぁとか思ったんだろうか、人によっては。
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